一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

フラクタル

瞑想行が中心の日々になると余暇的な時間もだいぶ無くなります。
そんななかで、一杯のお茶を飲みながらひと息つく時間がとても貴重な時間に思えます。

やはり何事も、有り余るなか、もて余すなかから有難みを見出だすのはなかなか難しいことなんだと思います。
飢えてみて初めて知れることは本当に多い、と思います。



フラクタル(自己相似)ということで一つ大きなものをあげると、
日本列島は他の五大陸の雛型(縮図)になっているという話が有名です。

大本教出口王仁三郎聖氏が唱えていた説です。


北海道=北米大陸
本州 =ユーラシア大陸
四国 =オーストラリア
九州 =アフリカ大陸
台湾 =南米大陸


日本は霊的には世界の中心、心臓部のような位置付けだといいます。

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葛飾北斎の波の絵、
これもまたフラクタル構造が画かれてます。
たしか昨年NHK北斎の特集をやってたみたいですが、残念ながら見られませんでした。
ハイスピードカメラで見ると同じように見えるみたいです。

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その鋭い観察眼で宇宙の成り立ちまで見抜いてたのかもしれないと思うと、すごいなと思います。


アントニオガウディも自然は偉大な手本、のようなことを言っていて、
その美しく凄まじい建築をいつかじっくり観てみたいなと夢見ています。

野口晴哉先生は人間を観察、人間を探求することで真理を悟って行かれたようなお人と思います。


一芸は万芸に通ず、というか、

真理はどの道からも辿れるのだなと、

大宇宙は何処か遠くではなく、身近な小宇宙に同じくしてあるのだろうなと、
思います。



一休


法の世界

もうほぼ修行モードに入り、日々瞑想行が中心の生活ペースになっています。




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(宇宙の原始音であるオームを図形化したもの。ビッグバンにより無から有が発生したその原始エネルギーを図形変換、2次元表記し視覚情報化したもの)




法の世界には「表の教え」と「裏の教え」とがあります。


仏教で言えば、経典を元に主に文字や言葉(説法)で人を導かんとしているのが表の教え、です。

文字や話で説くわけなので、当然受け取る側の理解度や解釈の仕方でそれぞれ個別に違う内容になる、とも言えます。
どの解釈が正しいか?など長い歴史のなかで論争も繰り広げられてきているものです。


それに対し裏の教え、というものがあります。
これが法力を扱うことを主とした秘密の教え、となります。
法力を使い実践的に自らが仏になる(神の境地に至る)その方法論や術(わざ)を伝える教えです。

死んで仏になる(肉体を脱ぎ去る)のではなく、生きたまま仏になる(肉体から意識を離れ神界次元に行く幽体離脱の法)がその最たる一つです。


仏教(ゴータマシッダールタが伝えた方法論と生き方の要点など)に限らず多くの宗教も裏側が存在し、裏の教えがあります。
エスも空白の期間ヒマラヤで修行をしていた、とも言われています。(日本に来ていた話もある)


裏の教えでは、弘法大師が開いた真言密教のように、真言(マントラ)は多用されます。
護符などのように幾何学的な図形、も用いられます。
我々の感覚器官ではとらえられませんが、この宇宙の構造は幾何学構造であり、フラクタルパターン(自己相似)になっていると言います。



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ピラミッドは黄金比率で作られた幾何学図形です。その実態はお墓などではなくエネルギーの増幅装置のようです。
太古には現代は失われているエネルギーのテクノロジーがあったようです。

裏の教えに伝えられている真言という音も、上の次元のエネルギーを3次元に変換したものです。
普通の人が聞くと謎の呪文のようですが。




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太古には高次元存在、様々な宇宙存在などとの交流が密にあったはずです。
それによってもたらされているテクノロジーも古代遺跡などの痕跡や、こうして秘密裏に受け継がれているものがあります。

それが永い期間、鎖国状態にあったのが、
これからまた新たな交流が始まりつつあります。


これからは宇宙人の時代です。

まだまだ宇宙人の話などまともに受け入れられる人は少ないかとも思いますが、

近い将来、当たり前になるであろう。




一休

今日の日記

本格的に寒くなってきました。

いつか北欧に行くのが夢ですが、東京のこのくらいの寒さでもう限界、と感じている今の自分では冬の北欧などとても行けそうにありません。

ヒマラヤの行者には極寒の雪の中を裸同然で瞑想して、その瞑想で生じる熱エネルギーで雪をも溶かしてしまう猛者がいるそうですが、
そこまで行かずとも、それに近づくくらいまで頑張って到達できればオーロラが見に行けます。
まだまだ遠い夢です。現実味を帯びる日は来るのでしょうか。



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先日伝法を受けた際、また次の段階の話をざっくりと聞きました。

更に格段にレベルの上がった内容で、
これによってどれ程意識の覚醒が進むだろうか、どんな浄化が来るだろうかと思い、未知の扉を開く楽しみな気持ちです。

やはり私自身は仏陀と縁があるようで、
仏陀に直接関係する超極秘の行となります。


行が本式の内容に入ってから一年以上が経過していますが、
たったこれだけの期間で自分の意識レベルも随分と上がったな、と感じています。
身のまわりの人と比べてみると特にはっきりと自分の進化が感じられます。

それに伴い、物の見え方や考え方、いろいろな抱えている想い、なども大きく変わってきており、
以前想像、想定していた予感にも大きくズレが生じてきているし、

こんなにも変わるものなんだなと、
これでは予感も想定もあてにならないな、など思っています。





法の世界でも、昔だったら100年かけて得られる進化を今はほんの数年で得ることができる、と言われます。
私も法を扱うようになってからまだ五、六年だったかと思うが、
100年、200年分の成果が出ていると言われても頷ける実感があります。

これからレベルもあがり更にその速度も上がると思うのですが、



さて、楽しみでもありますが、浄化は更に苦しいものになるだろうから、
心して挑まねば、です。



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一休

伝法記録

日付が変わってしまいましたが、本日無事に新しい伝法を受けて参りました。

数か月ぶりにやっとでした。



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実は昨年秋に逸る気持ちから、

自分のエネルギーの状態が悪いながらもなんとか伝法を受けて先へ進めたい、と思って指導者に都合を合わせてもらった時間が2度あったのだが、

この状態では伝法は出来ない、状態が調うまで待った方がいい、と言われ断念することになっていました。


いつになったら調ってくるのかわからない感触の中、出来る浄化を行いながら静観するしかありませんでした。

しかし結果的にはその期間に瞑想行以外の勉強等、いろいろ必要なことができたのでとても有意義な時間になり、
いい流れだったのかなという気がしています。




そして今日やっと次の伝法を受けることができました。


エネルギーの状態も十分調ってきてるから大丈夫だろうとは思っていたものの、

法の内容のレベルも上がってきて指導者の判断もかなり厳しくなってます。
また断念という結果もあり得る、とも思いました。



それが今朝起きて神棚の榊の水を交換するときに、榊からきれいな新芽が伸びていました。
こんなことは初めてでした。


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これを見て、ああ今日は大丈夫そうだ、と感じました。

新しく芽吹いたのを見て、これは吉兆だと感じました。



日々手を合わせている神棚などは自分と一体化してくるという要素があります。

自分の状態がそうした対象物に写し込まれ、
反対に対象物の状態が自分に反映してくるということもあります。

だからこうした対象物はいつも丁寧に調えてお世話しておかなければいけません。
悪い状態にしておけばそれが自分に反映してきます。



私の指導者が人を治療した際にその患者の強い邪気を大きく被って、
そのあと主宰神を祭るご神像が真っ黒いほこりを被っていたことがあったそうです。

指導者とご神像が一体化しているのでこうしたことが起こるのです。
ご神像が受けた邪気を一部身代わりに被ってくれたりするのです。


このように自分の分身、という面を持つのでそれをふまえて接する必要があるのです。



ともかくまずは無事に伝法を受けられたので良かったです。
あとは行をじっくりこなして行きます。



一休

今日の日記

自分の家と仕事先と、何度も雪かきをしてもうヘトヘトです。

夢中になって汗をかいてやっていて、
終わってシャワーを浴びようと服を脱いだら、下半身から異常に臭い汗をかいていて何事かとびっくりしました。

なんか下水臭いなと思い、排水口から臭ってくるのかと思ったら自分の汗でした。
これまでの人生で一番臭い汗だったかもしれません。



臭い物には蓋をしろ、と言いますが、

人の身体に関しては蓋をするのはよくありません。

老廃物や邪気を多く含むものはたいがい臭いです。
身体の中から出てきたら蓋して封じこめるのは当然良くないです。




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これまでも浄化過程でいろいろありました。
顔とか耳の穴とかから臭いのが一、二年続けて出てたこともありました。

邪気抜きの行で悪臭が吹き出ることもありました。


若いうちは代謝が良いが故に臭いこともあります。




ヘトヘトになりましたが、久しぶりに汗だくになって臭い邪気が出て、
いい浄化になったかもしれません。



汚れた都会に住んでいると、雪は本当にいいなあと思います。

雪のあとは空気も澄んで、清清しい。

被害もあるでしょうが、恵みの雪だと思います。



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一休

縁切り 魔切り

我々のような修行をする者の世界で「縁切り」「魔切り」などの言葉が出てきます。



こうした縁切り魔切りを祈願として受けている神社仏閣があるようです。
引き受けている霊能関係の人もおそらくいるでしょう。


この類いのものはほとんどが危険と思います。




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京都に有名になった縁切りの神社があるそうで写真等少し見たのですが、
もはや危険な呪詛でした。

呪いの札がびっしり張られた岩にトンネルがあってそこを祈願者がくぐるそうですが、
こんなことをすれば祈願者は呪われます。
でもそれも自業自得です、仕方がありません。

呪いのトンネル岩は怨念の塊のようになってます。
ご利益が欲しいと思うほど、多くの祈願者からのこの怨念が貰えます。
己に都合のいいものを求め願う我欲に満ちた邪念の作用を受けます。
貼り付けた札で繋がります。



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人の不幸を願っての祈願などはもはや論外としても、

不幸を避けたい、嫌な人と離れたいなど、
その思いはあったとしても、それを何者か(神社仏閣などでも)にお願いする、頼む、などは危険行為になります。

正神がそうしたことに関わるわけはなく、依頼人を更に不幸に招くような存在との縁を生みます。


もしお願いをしてご利益があった、としたら、
それは不幸の始まりです。

そこで願いが叶ってしまったら、忘れた頃に必ず反動が来ます。
振り子の先端を、己の都合の良いところに手繰り寄せたら、当然後で反対に振れます。



自分の身に降ってくることは、良いも悪いもすべてが報いです。
因果応報、自分の行いの報いです。


縁切り、魔切りなどは、通常なにかに頼むのでなく自分の努力で行わなければならないことです。

嫌な人や不幸事と干渉できない処まで自分の意識を高く上げなければだめなのです。
縁が切れますようにと願うほど同等の意識でそれらと引き合います。


自分の蒔いた種で負っている負債を自分で返済しないで他の何か誰かに任せてどうにかしてもらおうなど、普通に考えたらとんでもない話です。
そんなろくでもないことを考える人の所にろくな人は寄りつきません。




形式的な呪詛の場合、負債は倍加するといいます。

先の神社の呪いの札を張っつけてしまったような人は、それこそ本当に繋がってしまった怨念と縁が切れるよう心を入れ替え努力しなければ、その後の人生ずっとつまづかされ続けることになりかねません。冗談では済みません。

えらいことですが、それもまた報いだから仕方がないとしか言えません。



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善し悪しの分別のつかない者には、痛い目に遭い苦しい目に遭い、身をもって学ばされるのが人生です。

愚かな過ちは早く気づいて、早めに修正、矯正しないと後で泣きをみます。




一休

次の行へ向けて

秋からずっと足踏み状態でしたが、やっと次へ進む流れが出来て来ました。

予定では本日次の伝法を受けるはずだったのが、指導者の急なトラブルにより延期になりました。


やっとこさ、という所だったのでちょっとヤキモキした気分でいます。



まあ逸るな、焦るな、ということでしょう。と、捉えています。

法に関することなどは特に、神事なので背後の指導や導きの影響が大きく出るものです。




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秋から数か月間、瞑想行は二の次三の次でやっていましたが、
ここからはまた瞑想行優先で日々の生活のペースを調整してゆこうと思っています。

新たな次の伝法に向けて、徐々に修行モードに意識も切り替えて行くつもりです。


ここしばらく、どうでもいいこともブログで書いていましたが、
修行モードに入って行けば書くのも減るかもです。



この数か月で進歩した意識でもって、日々与えられているすべてのことに感謝をしつつ、

次へと進みます。修行、再開です。




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一休