今日の日記
シヴァ他、浄化力の高いエネルギーでの瞑想に力を入れてここ数日過ごしています。
次の伝法を受ける前にしっかりともう一つ浄化して、レベルを上げておかないといけないものがあるようです。
そういう導きの流れになっています。
出せば入る、というのはやはり原則で、
まずは余分なもの濁ったものを出さないことには新しいいいエネルギーは入って来ませんので、まずは邪気出し膿出しです。
出してもう一段波動を上げないとというところです。
伊勢神宮に問い合わせをして神棚の簡易のお宮とさらに追加で、
内宮、外宮、それぞれのお札を合わせて送ってもらう運びとなりました。
インスピレーションで導かれた形でお札もお願いすることになり、嬉しく思っているところです。
伊勢神宮に祭られているのは大変高位の神です。
日本の霊的中枢とも言えるような特別な場所です。
その御神札を自宅の神棚でお祀りできる流れになったということは、
それは自分にとっては、
それがやっと許されたということ、
自宅で高位の神を祀ることが認められたことを意味しています。
普通の人であれば誰でも、
お伊勢さまを祭りたいと思ったら、必要な手続きを踏んでかかる御代を納めればそれで可能です。
大きなお金がかかるわけでもないし、難しいことでもないです。
しかし、修行者にとってこうした神様事はただ形だけで出来てもあまり意味がなく、
そこに神縁があるのを感じられて、誘導されるものがあって出来るようになることに意味があります。
自分の意識レベル、波動レベル、神と向き合う姿勢などが日々の努力で向上して、認められてはじめて確かなご縁が頂けるものと思っています。
自分の今のレベルと、持っている縁によって繋がれるものは変わってくると思います。
小さなことではありますが、
こうして新しい、より質の高いご縁が与えられた時というのは、
日々の努力の成果を感じる時でもあり、
いろいろな想いに耐えて堪えていることへのご褒美のようでもあり、
嬉しく思えるのです。
上から褒めてもらうのは、いくつになってもうれしいのかなあと思います。
一休
高麗神社
今日はとても久しぶりに高麗神社へ参拝してきました。
本当は活元瞑想会に行く予定でしたが、今日どうしても車検の見積り相談をしに行かなければならなくなったので、瞑想会には行かずに地元である入間市のディーラーまで行くことと相成りました。
ついでなので産土神社へ参拝して、そこから少し足をのばして日高市の高麗神社へ、
久しぶりに行こう、と思ったので心の赴くに委せ行きました。
着いてみると駐車場は車がいっぱいで、
桜が咲いてるから混んでるのかなと思ったら、
4月1日で桜祭りというのをやってたからでした。
参拝を終えたタイミングで、なにか催し物が始まりました。
桜のご神木にお供えをして、宮司さんと巫女さんが祝詞奏上と舞を披露するのが始まりました。
参拝客も参加するような形になったので、私も居合わせてラッキーでした。
巫女さんが舞を披露しているときには、
風と共にとても華やかな楽しい波動がその場に拡がるのが伝わって来ました。
神様がその場に来られているのはよく感じられました。
喜ばれて一緒になって踊っているのかな?と思うような雰囲気でした。
巫女さんの格好が特に華やかで綺麗で、
それに比べると、、、
参拝客と、特に自分の格好がとても地味で薄汚く感じました。
ワークマンのジャンパーに、洗いすぎてお尻に穴の空いたズボンを履いて、上下とも色味のない灰色、、、
その格好でその場に居合わせてみて、、、ちょっとこれは無いなと思いました。
さすがに神様に失礼、と思えました。
どうも、カラフルで小綺麗な格好を好まれる神様は多いようです。
まるで自分のそのあたりの無頓着さを指摘されるかのように情報も最近入って来ていたのですが、
今日さすがに、今後ちょっと改めよう、と思わされました。
その後社務所で神棚のお社等を見学していると、
一つの簡易神棚が目に留まりました。
「これがよい、(今使ってるのより)これの方がよいぞ」と後ろから言われた感じがしましたので、購入することにしました。
が、それは伊勢神宮内宮で取り扱っているのでそこへ連絡してください、とのことなので、後日連絡して購入する予定です。
やっぱり神具は伊勢神宮のものがいいんでしょうかね。
一休
現世利益
お大師様は真言密教を開くにあたり、現世利益という要素を大変重んじていたことを知りました。
「福智無辺誓願集」という大願を掲げておられます。
それは福徳と智恵、物質的にも精神的にも満たされることを大事とする教えであるということです。
自分としてはとても共感を覚えます、やはり縁のある教えなのでしょう。
ちょっと深く入り込んだ話になりますが、
霊験あらたか、現世利益の力を持つ行者には、呪法、呪術に通ずる者も実は多いという秘密事情があります。
呪力は魔と関わるものですから、悪い力となるか善い力となるかは紙一重の世界です。
呪力による現世利益は大きなバッドカルマとなります。
池口恵観大阿闍梨は先祖から代々続く呪法を修めているそうで、
ご自身の霊力が強いのはこの呪法を修しているからというのが大きいと言っておられます。
私の指導者→の師匠→の師匠である聖者もまた現世利益をもたらす霊力の非常に強い方で、物質転換などの奇跡力と呼ばれるような力も供えていましたが、こうした力も呪力に通ずるもののようです。
ある意味での魔と通ずる力であるようです。
この流れのものを私は学び修していることになりますが、呪法と呼ぶようなものにはまだ関わりはありません。
天空の城ラピュタで、
シータが飛行石と共に受け継いでいるおまじないで、
良いまじないに力を与えるには悪い言葉も知らなければいけない、でも決して使うな、と滅びのまじないのことを話していましたが、
これと同じようなことと思います。
現世に大きな力を及ぼすのには、正神界ではない裏霊界の存在(魔の類い)の力は非常に大きいようです。現世に近いからです。
当時は今よりもずっと裏霊界の現世への影響力が濃かったようでもあります。
昔ばなしで妖怪や悪鬼、幽霊の出てくる怪談めいた話が多いのも、科学がないが故の思い込みやつくり話という簡単な話でもなく、そうした背景があっての実際のかつての実態だったようです。
それだけに呪法も発展し、使う者も多くいたのでしょう。
本当に力のある者であれば魔力さえも使いこなす、魔をも使役するようですが、
これは一寸間違えば魔に取り込まれ魔の手先となってしまう危険極まりない行為でもあります。
人間界で言えばヤクザ(裏社会の力)を使いこなすと言うようなものです。
政治家でもそれだけの力ある人などそうはいないでしょう。今ならロシアのプーチンさんくらいならどうかわかりませんが。
霊的なことに関わっている人が実際には多くが裏霊界の魔の類いに使われてしまっているようです。
悪の手先とまで言わなくとも、裏霊界とつながり影響を受けてしまっているのが多いのは自分も感じるところです。
使ってしまえるだけの力がこちらになければ利用されてしまうのです。
軽率に関わりを持ったりして縁が結ばれてしまえば(取り引きが行われてしまえば)、それは来世や子孫にまで受け継がれてしまう、簡単には切っても切れない縁としてのカルマも生じてしまいます。
一度でもヤクザと取り引きをしてしまえば、その縁で負ってしまうものは自分一人で済むものにはそうそうならないでしょう。
だから基本的には裏には近づくべきでないし、関わるべきでないのです。
普通の堅気の人はそうすべきなのです。
これから先、自分も呪力を身に付けることになるのかどうかはわかりません。
これからの時代は条件も変わってきます。この類いの力も必要無くなってくるかもしれません。
霊界の様相も以前とは変わり、裏霊界の力はどんどん弱まっている、これからもさらに弱まって行くとも言われ、これは自分も実感しているものがあります。
正神界とのつながりのみで大いなる現世利益を誰しもが、正しく望めば得られる時代へと進んで行っているようでもあります。
一休
今日の日記
本日はとても久しぶりにシヴァのエネルギーで浄化の瞑想を行いました。
しばらく心身の鬱滞が続いていたのが、激しく浄化反応が出て一つ二つ抜けて心身も弛みました。
まだまだ芯から本格的に弛んだとは言えず残ってはいるが、それでも今はとてもだるく気持ちが悪くなっています。(強い緊張状態がほぐれると、痛みや吐き気などが表れたりする)
シヴァの浄化力はやはりとても強い、と改めて感じることとなりました。
シヴァはヒンドゥー教では宇宙の創造三神の一柱とされている神であり、破壊と創造を司ると言われています。(無から有を発生させるブラフマンの創造とはまた別)
五大元素とも言われる地火空水風、この世のありとあらゆるものはすべてシヴァの顕れ、シヴァそのものであるとも言われます。
シヴァに帰依している聖者、賢者も多くおります。
現時点での自分の考えとしては、シヴァは日本の神では国常立大神様と同根なのではないかと考えています。
現状で感じられているエネルギーの質も方向性が同じというか、同種の系列な感じがしています。
より高位の存在としてのこの二神は同じではないかと予想しています。
国常立大神様は地球そのものであり、日本の国土はその姿が顕れた龍体の形をしていると言われます。
大自然も、その自然の摂理もこの神様の息吹きである故に、そのエネルギーは強大で強烈です。
嵐も台風も火山活動も大地震も、この根源的な神様の意思(エネルギー)に因ります。
瞑想によりシヴァのエネルギーを大きく動かすことは、こうした力を自身に及ぼすものと感じています。
故に浄化力も強大です。
瞑想もいろいろあるとおもいますが、
浄化、祓い、波動を上げる、心身の調律、などの目的を持つ瞑想であれば、
そこには必ずと言っていいほど浄化反応がついてまわり表れます。
大きく、深く力が及べばその反応も激しいものとなります。
弛緩、解毒、感情の表出など、出方は一様では無くも、
激しく出れば痛みや苦しみに身悶えます。
そして、こうした瞑想にも起承転結という流れがあります。
これもまた一様では無いものの、
演劇や音楽などのように途中で激しくなったり静かになったり変化をみせて展開されて、最後には心身ともに鎮まって終わります。
普段はだいたい私はこうして鎮まったらそこでその日の行は一区切りで終了としています。
ここからさらに続けることでより深い瞑想状態に入る、禅で言う入定に入るなどもありますが、
今の自分に大事なのはこれではないのでやっていません。
一休
今日の雑話
先日、仕事仲間と話をしていて、
彼の行くある仕事先(私も知ってるところ)で幽霊がでるとのことで、
その時は、いわゆる霊感が強いと言うような男性一人女性一人(私も知ってる人)の二人がいて、
二人ともに幽霊のおっさんが見えたらしく、特に女性の方が出て行こうとすると追いかけられたり腕を掴まれて引き戻されたりして悲鳴を上げてたという話をおもしろ可笑しく聞かされました。
彼は私が霊的なことに関わる行を行っていることもなにも知らないので、
私も、えげつないのがおるな~とだけ言っておきました。
前々からたまにそこの現場でのなにかいる話、はいろいろな人から聞いてましたが、内容的に危険な感じがしないのでいつもおもしろ話として聞いていました。
いわゆる霊感が強い、見える、という人に多いのが、
低級霊しか見えてない、感応していないという方です。
本人を前にしてなかなか言うわけにもいかないことですが、
こういう人は多くの場合あまり褒められた人とは言えないと思います。
なにかしらその人の精神性の低さを物語っています。
高級霊との交流が無く、低級霊とばかり交流してしまっている、というのは、
その霊的感覚にも問題があると思います。
この手の人の多くが、恐らく、正しく心身が律されて精神性が高くなると、見えてた霊的感覚も無くなる、と思います。
この手の霊感は、正しく開いている霊的感覚とは別物です。
ひどい場合低級霊の憑依でもって開かれてます。
悪質な霊能関係の人や宗教者にも多いと思います。
この話の女性は、清めの塩をいつも持っていたりして万全に対策もしているのだそうですが、
結局はちょっかい出されて悲鳴を上げてます。
こういう方には、私生活や生き方をまず見直した方がいいんじゃないかと、
自分としては思うのです。
一休
今日の日記
先週高熱が三日間くらいでました。
深部が弛み、無意識に抑圧、蓄積されていた感情も出てきていつになく強い苛立ちが顕在化していました。
高熱と下痢で、全部上手に流れてくれれば良かったのですが、
後半仕事で無理をして寝不足も続いてしまい経過が悪くなってしまいました。
後半は熱も内に引っ込み、下痢も出切らずに終わってしまい、苛立ちも引っ込んで、
心身とも鈍く停滞した状態になってしまいました。
一度浄化、発散、解毒といった排出作用で表層に浮き出てきたものがそのまますっきり流れ出て行かずに、このように内向をしてしまうと、
状態としては非常に良くない状態となります。
そして一度内向して引っ込んでしまうと、排出が難しくなります。
また排出のきっかけ、その波がくるまでは鬱滞(裡に隠って停滞する)しがちになってしまいます。
スムーズに経過させるというのはなかなか容易ではないです。
症状緩和の薬などを飲んでも症状は内向します。
ですので、浄化修行を行う自分のような者は通常飲みません。
2月、3月と集中して修してきた行が一旦区切りがついて、
また次の伝法を受けようというところで、心身が鈍く停滞してしまいました。
今の状態ではよろしくないため、
整うまで調整して行かないとというところです。
一休
花粉症
花粉の季節になりました。今日も多く飛んでいてかゆいです。
私は小学生の頃から花粉症でした。当時はまだ花粉症の人は少なかったと思いますが、今はどんどん増えてるようです。
花粉症の原因は花粉だけではなく、有害電磁波や、アスファルトや排気ガスなど他の有害物質、他のアレルギー物質との複合反応によって悪化している、との指摘がされていますが、
これは確かなこと、と思います。
有害物質だけに限らず精神的な要因も複合して悪化する、と思います。
個別にみればそれぞれ違う相当様々な要因が絡み合っているだろうと思われます。
花粉症はじめ、多くのアレルギー症状は自律神経と深く関わっています。
自律神経の働きが整うことで症状が緩和する、もしくは無くなることはあります。
私は以前に比べればだいぶ症状は楽になっています。
修行の継続によって自律神経の過緊張が抜けて整ってきていることは大きく関係していると思います。
瞑想中、深い瞑想状態に入ると症状は一時的にほぼ出なくなります。活元瞑想でも密教瞑想でも同じです。
どちらでも気の流れが良くなり、深部の過度緊張が弛んで自律神経の働きが整って来ます。
そうすると症状は落ち着いてきます。
終えてかもしばらくは落ち着いていることが多いと思います。
アレルギーの元は、その対象物等を「受け付けない」ことの反応であり、
症状は身体の抵抗反応です。
ここで、かつて読んだフロイトの本にあった焦げたプディングの話が思い出されます。
その患者は焦げたプディングの匂いが鼻について離れない、というものでしたが、
「無意識に抑圧されたある強い感情」と、その時同時にあった「焦げたプディングの匂い」が一体化していた、という症例です。
この例のように、
無意識に抑圧されている感情、がその時あった花粉と一体化されて、感情と共に抵抗反応を示している、(要するに原因が抑圧された感情であるということ)
もあるわけです。
野口整体でも、自分の学んでいるところの症例で、このようにトラウマの消失と共にアトピーがすっかり治った話なども聞いています。
原因が心理的要因と一体になっていることは決して少なくはない、どころかそのほとんどに関わりがあるはずです。
野口整体では病症には必ずというほど心が関与している、としてみます。
人の身体を観る、ことはその人の心を観ているも同じだ、とされます。
これは思想とかなんとかではなく実際の成り立ち、です。
心身不二ということが根底にあります。
話変わってそうこうしていたら、なにやら熱が出てきました。
今日は心身ともにおかしいなと思っていたら、、
寒気で震え出しました。
明日も普通に仕事だが、なんとかなるか?
いやなんとかするしかないので、早く寝ましょう。
一休