一人ぼっち
一人ぼっちの語源は、独り法師、あるいは独り坊主だそうです。
どの宗派、寺にも属さずに独りで山に籠ったり行脚したりしているような僧のことで、軽蔑したニュアンスの言葉だったようです。
破門されたり、集団に馴染めずのけ者にされたような人に対して使われていたようですが、
自分の考えではそういう人ばかりでなく進んで独りになっていた僧も多くいたのではないか、と想像します。
周囲よりも真理を悟ってるような人は、形ばかりの俗っ気の多い真理に暗い坊主たちとは波長が合うわけがないし、
真理を探求してゆく道は、やはりどこまでも孤独な道であると私は感じ思っているのです。
あくまでも心の在りかたとして、ということなので周囲に人がいたらいけないということではないと思うが、
実際に独りになっている方が、周囲から邪魔されたり足を引っ張られたりということもなく、余分な争いやいざこざを遠ざけて求めるものを追求して行けると思うのです。
村八分という言葉があるように、
日本は村社会の集団意識、派閥意識が強く、お寺の中も然りだっただろう。
宗派間の争いもたえずあったであろうし、中は俗社会と同じ縦社会の権力争いもたくさんあっただろう、
結局多くの寺の内部は娑婆となにも変わらなかったのではないかと思えます。
昔からそうだが、基本的に私は組織や集団のなかで生きるのが嫌いです。
馴れ合うのも嫌いです。
この独法師という言葉が、自分にはしっくりきます。
一休