浄化をするとどうなるか
私の言う浄化とは、
心身(肉体、霊体)に留まっている不浄なエネルギー、すなわち邪気を取り去ってゆくことを言っております。
それには、
自身の魂が持つカルマ(悪業、悪因縁)があります。
様々な霊体存在から受ける霊障害もあります。
蓄積させている陰性感情もあります。
他人や環境から受けるマイナスエネルギーもあります。
これらは人の霊体(エネルギー体)、肉体を穢し歪め、
病気や不調、事故や怪我などの災難、人の軋轢、揉め事トラブルなど引き起こし、
様々な形で運命の善き流れを阻みます。
それが御魂磨き、霊的な成長の妨げとなってしまうこともしばしばと思います。
人は無意識に、自覚の及ばぬところで、
恨みや憎しみの念にしがみついていたり、
果たせない無念の想いを抱え続けていたり、
不運な今を安心で居心地がいいと居座っていたりもしていて、
それでいて気づかないところがあります。
本来不快であるはずなのに、その不快を無意識に手離したくないと抱え込んでいるのです。
当然自分も例外ではありません。
これらは不浄なエネルギーの影響に依った低い意識が生み出しているところも大きく、
不浄が浄化され意識も高くなってゆけば自然と離れて行くものも多いのです。
しかし、
こうした低い意識、不浄エネルギーにとらわれ飲み込まれていると、
手離して身軽になりたいという要求さえ起らずに、余分な苦労も増えてしまいます。
浄化を努めて行うことは、結果的に余分な苦労を減らし、人生をより豊かなものにすることと言えます。
霊的な成長(意識が高くなる)を遂げて行くにも欠かせないことです。
心身がスッキリ調って行くのであれば、どんなことでも浄化になります。
詰まってる溜まってる、穢いもの臭いものが出てくれば浄化です。
感動(神動)して涙を流すのだって浄化です。
浄化とは、心身を洗濯すること
この穢れ多き娑婆を生き、
日々汚れては洗濯し、また汚れては洗濯する、、、
そうして御魂は少しずつ磨かれて行くものであろう。
一休