一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

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無い者からは奪うべし

野口晴哉先生が、指導者の心構えとして持つべき愛情というもを示した教えがあります。


無い者に与えてはいけない。
無い者からは奪わなければならない。

有る者には与えてもよい。

無い者に与えるのは素人の愛であり、
無い者から奪うのが玄人の愛である。


という内容です。


愛情でも物でもお金でも何でも、

無い者を見ると、同情心、人情で、
では恵んであげよう、補ってあげようとなる。
しかしそれではその人の本気は呼び起こされない。

奪われてさらに無い中から本当の必要を感じ、自らがそれを掴み取りに行く力を引き出さなければならない。

自らの力、本気が出てくるよう仕向けて行くのでなければ指導にならない。


有る者は何故有るのかと言えば、
使える力を持ってるから有るのです、だからそれには与えればよい。

無い者は持っている力がないから無いのだ、と。


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私もやっとこうしたこと、玄人の愛というものが身に染みてよくわかり自分なりにほんの僅かずつですが体得できてきたものもあるように思えています。
勿論使いこなせるなんていう次元の話ではありませんが。

数年前までは素人の愛しか使えませんでした。
素人の愛を使って使って一生懸命やった結果はと言えば、

人の弱さや依存心、怠惰、かばわれることの快感を引っ張り出し助長させてしまい結果成長を遅らせ、
自分の方は抱えきれなくなって苦労したりと、

今思うと本当に阿呆なことしかできてなかったと思います。
それでもまあその失敗の積み重ねのお陰で学んでこられた訳ですが。



指導をする側に立つ者、愛を与える側に立つ者は、苦しみ悲しみも与えることができなければいけない。
憎まれる恨まれることもできなければいけない。


当然、神は優れた指導者です。

痛みも苦しみも悲しみも、育つまでは嫌なこともいくらでも与えられる。

優れた指導なのだから従って、そこから本心本気を引っ張り出してゆくのが賢明だと思っています。



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本心、本気が引っ張り出されて来なければ心が満ちてゆくこともない。
魂も光ってこない。

多くを与えるものは、より厳しい指導を受けなければならない。求めなければいけない。
その代わり、より深く満ちて輝くことになるのだろう。



小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり



愛情を使うということは、本当に難しいことだと思います。

使えるようになればなっただけ、大きく深い愛も与えてもらえる。

得るには、得るだけの資格がいる。
もっと神の愛を与えてもらえるよう、使える力をつけて行かないと行けない。


こういう難しいことは生きて歳を重ねて行かないとなかなかわからないことも沢山ある。
じいさんになる頃にはどうにか玄人と言えるようになってたらいいのですが。



一休