損害もカルマ
新たな行の最中です。
先月は初めて車で大きなもらい事故に遇うという業出しもありました。
周囲の人に話すと、
それは災難だったなとか、相手や保険屋にもっと文句言った方がいいとかいう話にもなるのですが、
霊性修行者としてはこうして降ってきた損害も歓迎すべき出来事、バッドカルマの取り除きです。
実際そうして取り除きとしてバッと起こってくれると、心がすっきりするという不思議な感覚になります。
この様なとき普通ならだいたい、苛立ってムシャクシャしたり気分が凹んだりするものと思います。
損失をどうにか減らそうとするなんてことも、我々の立場から見ればもったいないことです。
目の前に見えてるお金などの損失が減って満足したとしても、
人を言い負かしてやっつけて気分がすっきりしたとしても、
それでは目に見えない天のカルマのマイナスポイントをまた足してしまうことになります。
それではもったいない。
この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。
それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。
次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。
悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ。
悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。
めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。
この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは 大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。
借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。
<日月神示より>
本当の霊性修行者の考えや行為というのは、多くの人の目にはバカに映るかもしれない。奇異に映るかもしれない。
この世の原理、真理を熟知した徳のある人物には度々見られることです。
一休