現実面と霊的面の逆性
現実的な側面と、霊的な側面は、
真逆となっていることが多くあると言います。
此の世と彼の世は真逆の成り立ち、ともよく言われます。
例えば、
親は子に愛情を注ぎ、面倒をみて、世話をして育てます。
現実的な側面(此の世的な価値観)での支援、はその多くを親から子へ与えている形になっています。
しかし、霊的な側面(彼の世的な価値観)でこれを見ると、
子が親を支援し、子から親へ多くを与えている形になっている、と言います。
多くの親子は親よりも子の方が霊性が高い、ともよく言われます。
これは、辺りを見回してもその通りと実感できる、のが自分の印象です。
現実的な(此の世的な)力を持たない者を支援するほど、
そこから得られる霊的な学びと、それに伴うご褒美は大きい、
というのが自分の実感です。
私も霊性修行の指導者、を持っているし、
それに関する参考にしている方、も多数います。
指導者の上にはその師匠がいて、そのまた上にはいわゆる霊的マスターと呼ばれているような偉大な方、もいます。(その方の魂は神界出身かもしれない)
敬愛している故、野口晴哉先生からも間接的に霊的指導を頂いているもの、と自分では思っています。
こうした此の世的に自分よりも、先輩や上にいて世話をしてくれている人達、から頂いているものは当然ながら有り難いものが沢山あります。
しかし、上の人達からでは得ることのできない、
自分を満たしてくれるなにかとても大きなもの、を与えてくれているのは、
此の世的にはこちらが支援する形になっている、下に位置する人達です。
大宇宙から発生している有限なるもの、のすべてが、
何かしら対を成してそのバランスを保っているという原則がここにも見てとれる気がします。
「自分を満たすなにか」を得るためには、
自分以外の存在へ、(人とは限らない)
「今持ち得ているなにか」を与えることではじめて得られると感じられます。
与えたものと得られるものの比重は同じ、そこに厳正なるバランスとりの原則が生じているように思います。
一休