一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元瞑想行、気 エネルギー、神のヒーリング

西洋と東洋

西洋文明は「智」と「理」から発展しています。
東洋文明は「感覚」「感性」から発展しています。

これはかつて栄えた古代文明アトランティス、レムリアからの流れが関係しているそうですが、それについてはここでは置いておきます。


どちらが正しいか、ということではなく、
本来は相互に補完し合ってゆくのが望ましいのだと思います。



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最近は日本人も、特に戦後は西洋的な智と理の思想や文化が多く入ってきて(特に学校教育は大きいと思う)、思考を優先させる要素が強い社会になっているかと思います。
それに伴ってなのか身体特性も変わってきて、昔の日本人のように下半身に重心のあるずんくりむっくりはいなくなってきてます。
(思考優位に傾くと重心は上体へ上がります。本能的な感覚優位に傾くと重心は低くなる。)



西洋の科学は、分解して分類して分析する、
そして目に見える形で証明する、という捉え方と思いますが、

分解してしまうことでそれぞれの繋りや本質を見落としやすいものでもあります。


東洋の文化では感覚的に捉える要素が強いために、どうしてもその証明や説明が曖昧になるなどの欠点があります。


解剖学で人の身体を分解すれば中身の姿形は知れますが、
実体のない心とか、それと連動して一体になって生きて動いているその様までは捉えられません。



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人は皆それぞれに偏りの傾向があります。

私は基本的には思考優位に働く特性を持っていません。
これは身体特性でもあり、それは魂の性格とも言えます。

なので基本的には思考するよりも感覚を使うこと、身体を使って感じ取ることから物事を学びとって行くのが自然で合っているのですが、
やはりそればかりだと片手落ちになって欠陥が出てきてしまいます。


ここへきて密教を智と理からも総合的に捉えて知って行きたいという要求が強くなってきました。

これまでは身体を使って感覚を使って行を行うばかりでしたが、
やっぱり双方が大事なのでしょう。


こんなに頭をいっぱい使う勉強は久しぶりにやっています。



一休