死後の安否
新たに受けた伝法の行と合わせて、龍神のエネルギーで浄化を進めています。
御神体があると流れるエネルギーがだいぶ大きくなります。瞑想行をする上ではあると無いとではずいぶん違います。
せっかくなのでしばらく続けるつもりです。
人は亡くなるとき、死に際のその心の状態によって行く世界が決まるといいます。
この世に未練のある霊や死んだことに気づかないでいる霊などは、成仏出来ずこの世とあの世の狭間に留まってしまう浮遊霊となっていると言います。
死んで魂が抜ければ肉体はただの物と化しますが、
心の状態の良かった人の遺体はきれいで死後硬直がすぐには起こらず体温(熱エネルギー)が保たれるのだそうで、
反対にきちんと成仏出来ずにいる人の遺体はすぐに冷えて死後硬直が早いのだそうです。
ずいぶん昔の記憶だが、90何歳かで大往生した私のお祖母ちゃんはたしか2、3日きれいな状態だったと思います。
先代のダライ・ラマが亡くなった時には一週間か2週間遺体が温かいままだったというのも、たしかダライ・ラマの著書に書かれていました。
聖者、聖人と言われるようなより高い境地に逝かれた方の遺体はそのように長く熱を留めるとのことで、中にはずっと温かいまま存在し続けている遺体もあるのだそうです。
転生せずにエネルギー体で残存し続けるような人にはそうしたことがあるのかもしれないと思います。
お大師様(空海)のお墓や(正確にはお墓とは言わないが)、インドの聖者のお墓にも強力な生きたエネルギースポットになっているところがあります。
遺体を直に見ることはできませんが、実際どうなっているのかなとちょっと興味があります。
死んでなおそのエネルギーが保たれたり、増したりもしているということです。
生きている間の依り代であった肉体に、エネルギー体になってからも繋がり続けているのでしょうか。
遺体の様子を見ただけでも無事に成仏できているかの判断材料にはなりそうです。
自分でご先祖の供養(親類も含め)をするようになってから分かったことですが、
成仏してなかった親戚の人は、思い返すと葬式前にはもう誰かわからない顔になってた人もいました。
自分が死ぬときには、周囲が驚くくらいの死体にならないと修行者としては失格かもしれません。
一休