一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

修行日記

苦しいものが出てくることで、壁も感じています。

「障道の因縁」をよく感じ、そうして、

超えなければならないものがこうもあるかと、立ちはだかる壁を感じることとなっています。

 

それらを超えるためにも、本物の強い加持力を得るためにも、瞑想行をもっとやるしかない、と強く思わされている。

出来ることなら山に籠ってひたすら瞑想行に没頭したいと思うほどの気持ちです。

が、状況が許さないので今はそこまでする時ではなさそうです。

限られた時間で行に当ててゆくしかありません。

 


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我々にとっての瞑想行は、野球や剣道で言えば素振りです。

一番基本であり、同時に全ての要素が詰め込まれてます。

これの完成度が上がることが実戦でのパフォーマンスレベルを決めます。

 

霊性修行、御霊磨き、ということで言えば瞑想行ばかり沢山やればいいわけじゃない、ということになるが、

加持力を得る、為にはやはり反復練習を重ねて緻密に練り上げて行かねばなりません。

 

立ちはだかる壁を感じるほど、苦しくなるほど、

それをぶち壊し超えるために今は瞑想行にぶつけてゆくしかないという気がしているところです。

 

 

身の回りの状況にあまり大きな変化がないままこの一、二年過ごしています。

飛躍を遂げたいと思いながらも、そうそう大きな進展があるわけではない。地道に修行が進んで行っているだけです。でもそこだけはトータルで顧みるとそれなりに順調に進んでいると言えます。

 

まずは今出来ること、可能なことは何か、というのをよく見つめてみるのが大事なんだなと思っているところです。

出来ないことを無理にやろうとしたり、進むことばかり考えたところで上手くゆくものでもないんだなと。

 

今与えられてる中で、尽くすべきは何か?

尽くすことが出来るのは何か?

今ある状況を、今与えられてるものを最大限使い尽くしているか?

そう考えるといろいろ見えてきて、

今は瞑想行にもっとのめり込んでゆくことが最善な時だ、と感じられている。

 

今与えられてるものを使い尽くさない限り、次が与えられることはないんだなと、

そんなことを感じ思っているところです。

 

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一休