正邪の区別
「正邪の区別」
正しく法を身につけて来ている行者にはやはりこのことを強く言っている方が多い。
「神変とはまた大小あり。世間外道もなお神変を起こす」
とはお大師様の言葉だそうです。
正しき神力は実益(悟り)につながる。
要するに人間的、霊的成熟に利益がある。
これが何よりも第一義。
外道の神変(一種の魔力)ではお陰が現れても実益が第一義にはならない。
釈尊もお大師様も、ここのところはものすごく重要視してシビアに説かれているようです。
だからこそ教えとしては霊的なこと、悪霊とか霊界のこととかはとやかく言っていない。
そうではなくて八正道とか、正しき神意に沿って生きるための心構えとなることを強く説かれている。
幸不幸を決めるのは業(カルマ)であると。
だから業というものを正しく理解し、その知性(智慧)をもって正邪を見極めなければいけないと。
少なくとも表向き強く説いているのはそうである。
宗教団体の幹部の刑が執行されましたが、こうした団体にも仏教を説いているものが多くある。
修行として密教技法を取り入れているものも多くあるでしょう。
が、やっていることは外道で、おそらく熱心にやればやるほど自我を失って頭がおかしくなってゆく。
宗教霊は非常に危険だと思います。
一旦取り込まれてしまえば抜け出すのは困難になる。麻薬と同じで脳内にダメージを受ける。コンピューターで言えばウィルスに侵されたような状態です。
自力だけで正常に戻すのは難しい気がする。
仏教を謳っているからと言ってなにも正しいとは限らない。いくらでも都合よく引用することはできる。
お陰で釣ったり、魔の霊力で惹き込むこともできる。
人として正しくあろうとする、強くあろうとする、
そういうことを失ってしまったら、この濁世では魔の餌食となってしまう、身を危険に晒すことになるだろう。
一休