一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

今日の日記

いろいろとあり、ブログを書くような気持ちには無いのだが、自分の心境にはあまり触れずに日記として少し書こうかと思います。

 

また日々の生活や修行に対することなど、一度見直さなければならないところに来ており、瞑想修行も先へ進めるのはストップしています。

一旦リセットするために、できるだけ余計なことは考えないで修行からも意識を離そうとしているところで、

しなければ、という思いではやらないことにしています。

 


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この前受け取って自分の物となった法具はある金剛杵だが、密教の奥義が入ったものである。

密教では最重要となる物品を用いて作られた、到底お金には変えられない特殊な法具となっている。仏陀空海お大師様に縁深きものと教えられています。

修行が進むにつれて、教えられる内容にも秘密事項が増えてきたのでうかつなことは書けなくなってきました。ので書ける範囲で書いてます。

 

 

なぜ自分にそのような法具や法が与えられるのか?

 

考えてみてもわかりません。

 

霊性修行においては、過去世を含めた修行経験がものを言うので、今生の修行経験だけを見たのではわからないと言います。

過去に積み上げてきている法縁や徳、霊力といったものが今生で花開く、そういうことがあるのだということです。

 

ただ、仏陀にしてもお大師様にしても、その意思の最も大きなところは衆生済度ということにあるだろうと思うのです。

そう考えると、こうしてそれらの縁を与えられている自分にはそのお役目があるはず、と思うのだが、

そうしたことも今はよくわからなくなっているのです。

自分がすべき衆生済度とは?

自分がしたい衆生済度とは?

 

自利即利他、利他即自利、は重要であり、

己がためが他人のため、他人のためが己がためであるのが本当である。

 

答えは縁が導いてくれるのだろうか。

 

 

一休