一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

人の数だけ真実あり

このしばらく熱、風邪が続いたりして身体が深部から急激に弛み、それに伴って心の緊張もガクンと弛むことになり本音が出てきた。


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さくらももこさんが亡くなってしまいなぜだか少し涙がでました。と同時に、この世にもうあまり未練は無いような気がしました。なんとなくです。

昔はちびまる子ちゃんも見ていたし、マンガやエッセイも読んだり、馴染みのある好きな方でした。

力みの無い感じとか、ちょっといい加減で軽い感じのところとかが好きですが、自分にはたぶん無いところです。

 

自分は真逆とも言える感じで昔からいつも、ムキになって、躍起になって、必死で、限界まで、しなければならない、という力みが常に自分にはあります。そういうものに支配されてるところが大きい。

〜しなければという堅い思い込みや、劣等感というあるがままに自分を肯定出来ない隠れている何かに動かされてます。

身体の深部に不随意緊張として凝り固まっているそれらに支配されてます。

 

今ではだいぶそういう力みも抜けてきて、いい意味でマイペースになれて来たと思うこともあったが、

やっぱり全然まだマシになったくらいで深部が弛むごとに本心が出てきます。

 

 

ガクンと弛んで、もう頑張る気にもなれない、生きていく気も起きない、という気持ちになって初めて、

ああ、無理をしてるんだな、無理矢理なことをやってんだなと確認できる。

 

 

苦しみから逃れるために何かを追いかけて、その追いかけるものに縋って生きている。

 

ゆとりがあるようで、実はゆとりなんか全くない。常にギリギリで綱渡りのようになんとか生きてる。

 

今生で何かを満たしたい。生きてるうちになんとかしたくて、

残念無念、未練を残して終わりたくはなくて必死になってやってるが、どこまでやっても辿り着かずに諦めの境地さえ見えてくる。

 

苦しみ抜くことが自分のさだめならそれでもいいかと、来世に期待でもすりゃいいかと、

そんなことも思うようになる。

やるだけやって結果がそれなら仕方ねえと。

 


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そんなことを思う中で、真実は一つじゃないということも実感しつつある。

 

自分の心と身体で感じ、掴み取ったものだけが結局は真実なのかもしれないと思っている。

 

自分の真実は他人には通用しない。他人の真実もまた自分には通用しない。

人の数だけ真実があり、人の数だけ真実が産まれる。

そういうものかもしれない。

 

どんな高等な教えも、霊格の高い者の言うことも、自分の中を通してみなければわからない。

自分の中を通して、自分の血肉になったものだけが真実、

 

自分で生きて出した答えが、何よりの真実かもしれない。

 

 

 

一休