一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元瞑想行、気 エネルギー、神のヒーリング

次の行へ向けて

秋からずっと足踏み状態でしたが、やっと次へ進む流れが出来て来ました。

予定では本日次の伝法を受けるはずだったのが、指導者の急なトラブルにより延期になりました。


やっとこさ、という所だったのでちょっとヤキモキした気分でいます。



まあ逸るな、焦るな、ということでしょう。と、捉えています。

法に関することなどは特に、神事なので背後の指導や導きの影響が大きく出るものです。




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秋から数か月間、瞑想行は二の次三の次でやっていましたが、
ここからはまた瞑想行優先で日々の生活のペースを調整してゆこうと思っています。

新たな次の伝法に向けて、徐々に修行モードに意識も切り替えて行くつもりです。


ここしばらく、どうでもいいこともブログで書いていましたが、
修行モードに入って行けば書くのも減るかもです。



この数か月で進歩した意識でもって、日々与えられているすべてのことに感謝をしつつ、

次へと進みます。修行、再開です。




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一休

ありがたや

感謝の念で心を満たすべし、とはかねてから思っていたことですが、

実際のところ、心底感謝で満たされる、ようなことはそうそう多くはありませんでした。


そういう訳であくまでも心の訓練として捉えてきた処が大きかったのだが、
急に思いもよらない心の動きをするようになりました。


主に仕事のなかでですが、今までは苦痛と感じていたことや、不快と感じていたことにも、
それ以上に有難味や喜びを感じる部分を見出だせるようになり、
不思議と嬉しく受け入れられるようになっています。

なんでしょうか。

最近感謝することをとりわけ意識してきたからその結果の反応が出てきたのか、
わかりませんが、
なんにしてもこれは大きな飛躍です。

抵抗波動(不快感情)が大きく減るわけなので、先へ進むのも勢いがつくはずです。
何より日々がより心地好くなります。




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不快感情に意識がとらわれてしまえば、

それはそこに意思の気(エネルギー)を注いでいる状態になり、

その不快波動を育てて膨らませることになります。


結果、不快な出来事を招きます。

自らが不快のサイクルを作るわけです。


不快にとらわれればとらわれるほど、蜘蛛の巣にかかった蝶々のようになるわけです。

悪くすると、不快のスパイラルに取り込まれ一人では脱け出すことも困難な状態になってしまいます。


こうした時は、
不快を忘れられる状況を作る、ことも肝要かもしれません。
がしかしそれだけでは勢いはつかない、

最後には、突破する勢いが必要となるでしょう。


陰極まって陽に転ずる、

バネは強く押しつぶすほどに強い反発力を生みます。




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別の言い方をすれば、このような状態はエネルギーの内向した圧縮された状態です。

外部に向けて発散されれば状態(エネルギーの流れ)は改善します。



一休

今日の日記

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先日BABYMETALのバックのギタリストが亡くなったのを受けて、
BABYMETALも今後どうなるかなと思い巡らしていました。

BABYMETALの世界での快進撃を私はとても嬉しく思っていました。
バックの人達は同世代で音楽的に聴いてきているのも似ている感じがします。


女の子も礼儀正しく、霊性の高さを感じさせます。
日本のカルチャーが世界に羽ばたいてこれだけ受け入れられて、

何より日本人のもつ高い精神性を備えているので、世界に見せるにも誇れると思えます。


こういう処にも日本のこれから、を感じさせます。
アイドルとかアニメとかが今はメインなんだと思いますが、
いろいろなサブカルチャーを通して日本の精神性が世界へ広まって、今後も新しい世代に国境を越えて影響を与えてゆくだろうという気がします。

こうしたサブカル分野の持つ意味はこれからますます大きい、と思っています。




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BABYMETALはFOXGOD(狐神)の導きで活動が行われているというような設定になってるようですが、
自分が感じることとしては実際にウソじゃない、と思います。

キツネの神さま?かはわかりませんが、
たしかな支援と導きをしている高次元の存在がいると思います。




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日本人のもつ大事な精神を備えた上で(思い出した上で)、情熱を燃やす人達が世界へ活躍を広げて欲しいと思います。


これからは神意に適うことが大きな支援を受けられる時代です。悪意の乗ったものの支援は弱まります。




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新しい時代に向けて、光っているものを見つけたら応援しましょう。




一休

現実面と霊的面の逆性

現実的な側面と、霊的な側面は、
真逆となっていることが多くあると言います。

此の世と彼の世は真逆の成り立ち、ともよく言われます。




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例えば、

親は子に愛情を注ぎ、面倒をみて、世話をして育てます。

現実的な側面(此の世的な価値観)での支援、はその多くを親から子へ与えている形になっています。



しかし、霊的な側面(彼の世的な価値観)でこれを見ると、

子が親を支援し、子から親へ多くを与えている形になっている、と言います。


多くの親子は親よりも子の方が霊性が高い、ともよく言われます。



これは、辺りを見回してもその通りと実感できる、のが自分の印象です。


現実的な(此の世的な)力を持たない者を支援するほど、
そこから得られる霊的な学びと、それに伴うご褒美は大きい、
というのが自分の実感です。




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私も霊性修行の指導者、を持っているし、
それに関する参考にしている方、も多数います。


指導者の上にはその師匠がいて、そのまた上にはいわゆる霊的マスターと呼ばれているような偉大な方、もいます。(その方の魂は神界出身かもしれない)

敬愛している故、野口晴哉先生からも間接的に霊的指導を頂いているもの、と自分では思っています。



こうした此の世的に自分よりも、先輩や上にいて世話をしてくれている人達、から頂いているものは当然ながら有り難いものが沢山あります。


しかし、上の人達からでは得ることのできない、
自分を満たしてくれるなにかとても大きなもの、を与えてくれているのは、

此の世的にはこちらが支援する形になっている、下に位置する人達です。



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大宇宙から発生している有限なるもの、のすべてが、
何かしら対を成してそのバランスを保っているという原則がここにも見てとれる気がします。



「自分を満たすなにか」を得るためには、
自分以外の存在へ、(人とは限らない)

「今持ち得ているなにか」を与えることではじめて得られると感じられます。


与えたものと得られるものの比重は同じ、そこに厳正なるバランスとりの原則が生じているように思います。




一休

少年よ大志を抱け

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり。
此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」

(西郷南洲遺訓より)


かの西郷隆盛山岡鉄舟を指して言った言葉と言われています。


西郷隆盛もまた誠に無私の人であった、と言われます。


無私、になればなるほど神仏、高級霊界との繋りは深くなるものです。
二人の偉人もまた、日本神界の強い意を汲んで大業を成したのだろうと思われます。



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人を使うにあたり、金でも名誉でも釣ることのできない者は大変使いづらいから始末に困る、わけです。


反対にこれらで釣ることのできる者は使いやすい、ものです。


その者の持つ「欲」に働きかけて動く者、

その者のもつ不安や心配という「怖れ」に働きかけて動く者は、

使う者、利用する者からすれば扱いやすいものです。




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此の世では、ある人が何かを必要としたとき、
その対象の必要とされたもの、は同時に存在する(発生する)という原則があります。

求める者が生まれると、同時に与える者が存在するということです。




此の世の人間は、神界からも魔界からも憑依を受ける対象です。

神界と魔界とは直接干渉は出来ませんが、「生きた人間」を介して此の世では干渉が起こっています。


神界からの憑依を多く受ける者は、神の意乗りのある行為を行います。

魔界からの憑依を多く受ける者は、魔の意乗りある行為、魔に魅入られた行為を行います。


神は与える存在ですが、
魔は求める、貪る存在です。


神の与えるものには見返りがありませんが、
魔の与えるものは釣るためのものであり、その先に求め貪る見返りがある取り引きです。


「欲」や「怖れ」へのとらわれが強くなれば、その弱みを求める者への与える者となり、
魔(弱みを求める者)に同通しつけ込まれます。



金も名誉も位も命もいらない、無私に近づけば、魔もつけ入る隙がなくなります。


自分の行為の動機が欲、怖れへのとらわれに基づいていれば、
それは同時に、魔への干渉を自ら求める行為にもなりかねません。




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欲も怖れの多くも、私(我)へのとらわれから起こっています。


自分のことしか見えない、自分のことしか考えられない、
自分のことばかりに意識が強く向きすぎればそうなります。

そんな時、自分以外の何か、誰か、の為に、
私(我)を忘れて意識を多く使えば偏った意識も分散します。



「意識」は「意思」の「気」です。
意識を多く使ったことは、意思のエネルギーを注いで育ちます。

欲も不安も心配も、自分が育てています。
善い想いも悪い想いも、育てているのは自分です。
故に、どんな憑依を受けるのかも自己責任です。



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大志を抱くこともまた、無私へ繋がるものです。
志、夢、心に大きなことを想い生きる者に、小さな魔の干渉は起こりません。



神は常に、人の行いを観ています。

魔は常に、物陰からつけ入る隙を狙っています。


自分の持つ心の弱みに、支配されることなく生きましょう。




一休

身の程を知る

どうしても忘れてしまいがちですが、

ただ日常を過ごしていられるということの陰には沢山のお蔭様の庇護があり、
その庇護のもとに人は生かされているという実態があります。



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子供のうちは親や周囲の大人に庇護されることで人は育っています。

その後も学校や会社、国家など、様々な集団や組織の後楯と陰でそれらを護っている人達の庇護を受けることで今日の安心な生活、は得られています。



感覚の性(さが)として、人はどうしても嫌な面や悪い面を際立って強く感じるものです。

庇護する側の身勝手や自己の利得に走る面など、不満を感じる部分は浮き立って見えるものですが、
実は不満を感じていない、故に気づいていない、ところに庇護されているものが沢山あるのが実際のところです。

不満や不公平感、不条理感といった強く感じる部分だけを切り取って見ても、その実態、全体像は掴めていないものです。



日本国籍を持って日本人としてこの安心安全な国で暮らしているとこうしたことに気づく機会も少ないですが、
他国を見ると、民族間の争いや差別の強い中、なんの後楯もない身一つになることがどれだけ危険で弱いものか、を思います。
明日の安心もなくその日一日を生きるだけでも一杯な人もいます。




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こうした、
気づいていない庇護されているもの、実は世話をやいて貰っているもの、に一つずつ気づいて行くことが大人になり成熟すること、とも言える気がします。

それは自分の身のほどを知る、ことであり、
身のほどを知って初めて、分をわきまえる姿勢なども生まれてくるものと思います。


大概は自分が庇護する側、世話をやく側に立たされてみて初めてその大変さや有難味に気がつけるもので、
そうなって初めて不満よりも感謝を思える、恩義を覚えるようになるのでしょう。




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生きた人や組織ばかりでなく、
実際には目に見えない様々な存在(神仏、守護霊、先祖霊、その他高次元の存在など)
の庇護を受けて人は生きています。


霊性修行者は感謝の想いで心を満たすこと(すなわち愛で満たすこと)を求められますが、

それはこうして陰で自分を護っている者やその想い、気付かずに与えられている身の回りのあらゆることに「気づくこと」である、とも言えます。

要するに、いろいろなことに有難味が感じられるようになることが魂の成熟への過程なのだろうなと思います。



この与えられている、護られている有難味、を忘れたりいつまでも気付こうとしないままでいたりすると、
その大切ななにかを失ったり、あるいは得られなかったりして苦労をする羽目になるものです。


私自身、この先もう必要以上に無駄な苦労はしたくないと思うが故に、人生を霊性修行としているということもあります。


自分の状態が悪かったり、状況がうまく流れないとどうしても不満ばかりに私も意識が向いてしまいます。修行が足りません。

そんな時ほどに意識的に今有るものに感謝しないといけません。



一休

今日の日記

東京は久しぶりの雨の後で空気も少し澄んでいます。
気温も高くせっかくなので家の中の換気をよくしました。


昨日の成人式の晴れ着が着られないニュースが妙に気になっています。
今後夜逃げした会社と被害者がどうなるのか?気になります。

市でも来られなかった人のために臨時でもう一度式を開催するなどの対応が出来ないものか?と思ったりします。


ふと自分の時のことを思い出すと、
当時からそういったイベント事には全く興味がなく、すでに地元を離れ働いていたために当日も普通に仕事をしていたのを思い出します。


この歳になると若い子よりも親目線になってくるので、巻き込まれた女の子と親御さんは本当に可哀想だなと思います。
男の子にとってはたいしたことでもないですが、やはり女の子には一大イベントでしょう。
今後の対応でせめてもの対処が為されることを願います。



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大人になれば、それまで与えてもらう、庇護してもらう、世話をやいてもらう立場にいたものが、立場がだんだんと逆転して行きます。

庇護を受けているうちは好きなことも勝手なことも言っていられますが、立場が変わるとどんどんそれも出来なくなります。
自分の尻は自分で拭って、人の尻まで拭わなければいけなくなるから余裕もなくなります。


自分ではまだまだ若い気分でも、気づいたらいつの間にか大人の責任が課されている、ものです。
なかには若いうちから成熟している人もいますが、自分の感覚的な年齢と実際の年齢とにはえてして開きがあるようです。



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魂の成熟、という霊性修行においても大事なことは同じで、
今の自分が受けている庇護から一つずつ自立して離れて行くことで本当の心の自由は得られて行きます。


人には独立の要求というものがあります。
自立の階段を一歩ずつ上ってその要求を充たしてゆくことで、魂の要求も見えてくるというものです。
母性父性が育てば庇護することに喜びを感じるようにもなります。



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自然界の動物の中でも、人間ほど大人の庇護を受けなければ育たない種も珍しいようです。


子供のうちには多くの庇護を受けなければならず、大人になったら今度は多くの庇護を行わなければならない、という、

ここに人間という種に与えられている使命、魂の成長、成熟という重要な学びの要素があるのだと思います。



一休