重い祈り
最近、神社で参拝後に境内で休みながら他の参拝者の様子を観ていて感じました。
祈っている、お願い事をしているその内容はわかりませんが、神前で神に向けて送っている念波とその時のエネルギーを感じて思うところがありました。
端から様子を観ていると、人それぞれいろいろな念を出してお祈りされてるのがよくわかります。
想いの乗っていない感じのものから、一生懸命必死になってお祈りしてる人まで、いろいろな方が来てますが、
粗っぽい雑な感じの祈りや必死になって祈ってるのなどは、その場の神気に全く溶け込まない様子が窺えました。
神に相手にされてない、と自分には感じられました。
粗っぽい念(エネルギー)や執着の強い重い念や、逆に軽薄な感じのものも、
神社でお祈りしても届かない、ように窺えました。
雑なのや軽薄なのはさておき、一生懸命なのも重い念波になってしまうと神は相手にしてくれない、ように思いました。
その点、仏教系の神(仏尊)の方が、重い念にも溶け込む印象があります。
神社(神道)の神と寺院(仏教)の神は日本では陰陽☯で対になってますが、
祈りの様子を観察していて働きの違いをなんとなく感じました。
重い祈りにはその心の裡に苦しみや悲しみがあるものです。
喜怒哀楽という感情で言うと、神社では喜と楽に対応し仏尊では怒と哀にも対応しているというか、
つらい気持ちや苦しい心を包んでくれるような、癒してくれるようなのはどちらかといえば仏尊の働きが対応しているような気がしました。
一休