一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

統一体へ

身体、心、気、

修行者はこれが一つになって行くよう、一体となって行くよう修練をするわけです。

統一体と言ったりもしますが、

日本古来の身体文化では、武芸、伎芸、宗教等に於いても、こうしたことが重要であるとして必ず修練されております。



本日の活元瞑想会では初めての方が来ていて、若い女性でしたがかっこいい整体師になりたいとの目標で学びに来られていました。



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野口整体では、施術する、治療するという概念はありません。

自分の身体のことを医者や施術者といった治療家に任せて預けてしまうのではなく、

自分自身にしっかりと任せて預けられる、
自分の力で心も身体も健全に生きられるようになるために行う学びの世界であるというのが野口整体であります。

なので整体治療ではなく、整体指導という形式をとっているのであります。


野口整体でも整体操法という、一見するとカイロやオステオパシーなどの徒手療法と似たような技術もあるわけですが、
中身は多くの徒手療法とは違い、

やってあげる、やってもらうという図式で成り立たせるものではありません。


この辺りが野口整体が世間一般から理解されにくいところであるかと思います。

本日来ていた女性も、指導者がこうした話はしていてもよくわかってはいないご様子でした。




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現代、常識となってしまっている図式は、
治してあげる、治してもらうというのが当たり前になっています。

自分の乗っている車が壊れたから、調子が悪いから、
でも自分では治せないので車屋さんに預けて治してもらいましょうという、

これと同じことを自分の身体でやっているわけです。


自分では調子が悪いのを、壊れたのを治せないから、
治療家に預けて治してもらうのが正しいと思っているのです。


しかし、
こうして自分の身体のことを他人に任せて預けてしまうのでは、身体の持つ自然治癒力は発揮されてきません。

誰かにどうにかしてもらおうという受け身な心が無意識にでも働いていると、本当の力強い治癒力は出てこないのです。


身体に備わっている自然治癒力というのは心によって無意識に操作されているのであり、
すなわちそれは潜在意識によって操作されているものであります。

であるから、この潜在意識が前向きで積極的なものに変わらない限り、力は発揮されてこないのです。


心が前向きに積極的になるということは、
生き方がそうした生き方になるということです。

もっとも自分らしく活力のある、本来の生き様になってゆくということであり、
本来の自己に還るということであります。



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潜在意識領域というのはアストラル体、メンタル体を主に指しており、東洋の言葉では気であります。


霊的には前世などの関わりの深い霊魂と一括りに繋がっている領域であります。
であるから、
前世のカルマ(マイナスな思念)はこの領域から発生してくるのです。





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心、身体、気を統一して行き積極的に生きられれば、

カルマの清算ということもスムーズに進むことでしょう。



一休

ドラゴンボール

新たな伝法を受け、行じているところです。


今回のものは厳密な制約が無かったのはよかったのだが、とにかく時間をかけて沢山行わなければならない、
辛抱と忍耐が大事になりそうです。



ゴータマシッダールタは、6年間の荒行苦行を行った後、

苦行によって悟り(正覚)は得られないと悟り苦行を捨て、
このまま死んでしまおうかというほど心身疲弊しているのを、村娘スジャータの乳粥の施しで助けられた。

そして気力体力の回復した後、現在のブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し悟りを開いたのです。



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この悟りに深く関わっている、そのカギになっているのが、
この地と繋がる龍神、ナーガラージャです。

龍は古来より、人界と神界を往き来する生命体と言われており、
瞑想中のシッダールタの霊魂を神界に導いたのはこのナーガラージャであるということです。


亡くなった人の霊魂を神界へ連れてゆくのも龍神といわれます。
お寺の天井に龍が画かれているのはこのための意味合いが大きいのではないかと思うところです。
もちろん願意を届けるなども含みます。



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今回伝法を受けた行は、この龍神との繋がりを図る行であります。

密教最奥の秘中の秘法で創られた法具、特殊な如意宝珠を使って行を行っています。


如意宝珠とは、龍が手に持つ
意のままに、思いのままに願いの叶う珠、
要するにドラゴンボールです。

私は子供の頃から一番好きなマンガはドラゴンボールで、
よく神龍の絵を書いていました。


今回伝法を受け如意宝珠を授かり、なんだかワクワクしました。

私の授かっている如意宝珠は修行用の法具として特殊に創られた物なので、マンガに出てくるドラゴンボールとは見てくれは似ても似つかないものだが、

子供の頃の憧れが、こういう形で現実になっているのを嬉しく感じました。



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願いは何よりも第一に、人を救い上げることのできる力を自分が身に付けること。その導きであります。


とにかく瞑想行に時間を沢山使うことになるのだが、
ドラゴンボールを読みたくなっている今日この頃です。
合間を見て本屋に行こうかとも考えているところです。


一休

感謝という技法

車のリコール、点検のためディーラーにて待機中です。
暇になったので書いております。



感謝をするということ、


これは多くの人が気付かずにいるのではないかと思うのだが、
これには非常に大きな力と可能性があるのを私は実感しているものです。

特別な技法ではない、
誰にでもできて無限の可能性を秘めた浄化法、と言っても言い過ぎではないかもしれない。




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不運、不遇を受け、怒り苦しみ悲しみにとらわれる。
恐怖、不安にとらわれる。

人は必ずこうしたことを体験する。


苦しみも悲しみも恐怖も、外の出来事にあるのではなく、
全て自分の中、自分の心に存在しているものであります。

そうして心に起こる陰性感情、ネガティブなエネルギーは、

受け入れることで浄化される。
受け入れることで流れて行く。


とらわれていれば苦しいだけでなく、ネガティブを膨らませてしまう。

見て見ぬふりをしようものなら、もっと大きく膨らませてしまうことになる。

そしていつか必ず無視することのできない不遇な出来事として身の上に降ってくる。



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受け入れるためには、

沸き起こったネガティブな想いを、
感謝し、歓迎してしまうことであります。


心に起こった苦しみ悲しみ、恐怖に、
お陰様でありがとうございますと言ってしまうことであります。

お陰で本当の自分に一つなれていると、
本当の心を、本当の気持ちを知ることが出来ましたと、
心を込めて、感謝の想いをネガティブな気持ちに届けるのです。

感謝の高波動でネガティブな滞りを溶かしてしまうのです。


私はこうするとよく涙が出てくる。


こうして浄化してゆけば、ネガティブは軽減しそれ以上膨らんでしまうことは無いのであります。


流れれば受け入れられてくる。

ネガティブな想いは、行きどまりのエネルギーであります。
滞った詰まりを取り去ってゆけば、流れ出し受け入れられてくるのです。



これは誰にでもできる、非常に優れた浄化法と思います。



一休

生命力

東京は雪です。
これから雪かきを少ししなければならない状態です。


道端に生えている雑草、
雪に埋もれても、踏みつぶされても、しぶとく伸びてきます。
細々と貧相な出で立ちに、その裡に秘める生きる生命力はとにかく力強い。


それとは対照的に、
人がいい環境を整え、よく手入れをされた草木であれば、
見映えはいい。鮮やかに大きく育ち、品もある。

しかし、ひと度手入れが無くなれば、環境が厳しくなれば、生命を維持することもできなくなってしまう。
生命力に乏しい。



自分のような者が、修行によって培って行かなければならないのは、
第一に、この雑草に見られるその生命力なのです。


アスリートはそのパフォーマンスのために、大きく筋肉を作り、見た目にも鮮やかな体力を作っている。
これはこれで、今の時代のものとしては大変価値あるものであります。

しかし、本当の生命力を引き出されることはない。




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本物の生命力を引き出して行くためには、

飢える必要があるのであります。



外に得られないところから、自分の裡に得て行くのであります。

得られないところから、裡に隠れている、眠らせているものを得て行くのです。


こうしたことをしておれば、その出で立ちは多くの普通の人の目には貧相にさえ映る。

その裡に隠る力を見抜く目の無いものには、そのように映るであろう。


真実は、真理を体得して行かなければ見抜けない。

本気で求める者の目には、真実が映し出されて来るのであります。



一休

ヴィーガンスイーツ

21日間の行の最中であるが、今日は久しぶりにゆったりと時間がある一日であります。
浄化も少し落ち着いており、午前中に行を行い昼から鎌倉の旅であります。


今回の伝法から菜食になり、添加物やエネルギーを落とすものをやめて行っているところで、

食物について改めてよく調べたりの日々でありました。
まだまだ慣れないので面倒で大変です。


どこに自分の食べられる物が売ってるのか、
探すにも時間を食うし、限定された食料のなかでもエネルギーの良いものを選んで行かねばならない。慣れるだけで大変です。
時間をかけて徐々に最善の食へと変化させて行くしかないなと感じているところです。
要求そのものの変化と合わせて、何しろ時間がかかりそうです。




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そんななか、鎌倉駅近くのハルカフェさんというカフェで一服しています。

ありがたいことに植物性だけでケーキを作っているヴィーガンのお店で、
ショートケーキを食べましたが大変美味しかったです。
豆乳で作っているようですが、豆乳の味もきつくなく程よく香るくらいです。

かつてパティシエをしていた自分としては、植物性だけで上手く作るもんだなと感心しました。


行者としては食に対する執着そのものが無くなって行かねばならないわけですが、
まだまだこうした体験も小さな楽しみになっています。

すぐには変わりませんね。



一休

21日間行

ある神との契約により行う、その神から強力なエネルギーを頂く21日間の行が今日からスタートである。



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一度エネルギーを十分に蓄えるためにも、不要な放出、すなわち性エネルギーの発散は厳禁である。

魚肉、動物性を含む食事も一切が摂れない。


そしてこれは契約には無いが、
エネルギーを落としてしまうような食品添加物アミノ酸系調味料なども極力摂るわけに行かない。


これを現代都会で、在家で一般の仕事をしながら行うのはなかなか大変で、
添加物のない食料を探すのにも一苦労である。

決められた瞑想も毎日必ず行わなければならないため、時間の調整なども楽ではありません。




こうした修行を行ってゆくための、色々な面での環境がまだ十分に整っていないため、こなすだけで精一杯になってしまいそうである。

しかし、環境が整ってからなんてことは言っていられない。

修行を真摯に行うことで、自分の心身をより明確に変えて行くことで、
おのずと整った相応しい環境へと身辺の状況は移り変わってゆくのであり、

心の導き、神の導きに従うのであれば、
見通しを立てるよりも先に見切り発車をしてしまうことも大切と思うのであります。




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一休

本格行へ

本日新たな伝法を受けて参りました。
本格行に入ってゆきます。

初めていろいろ聞かされたのだが、ここからは厳しい制約もついてくることになり、
はたしてやって行けるだろうか?と戸惑う気持ちも起こっております。

が、導かれたのだからなんとかなってゆくのだろうと思い人事を尽くすしかありません。



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今回与えられた行は、ある神との契約により食事や性に厳しい制約が課され、
それを守りながら行ってゆきます。


まずは主に腸内の環境を変えてゆくことが主題であり、
腸内の邪気、毒素、老廃物等を排出してゆくために特殊な法の物を飲み続けます。

これは色々な物が混ざって粉状になっているのだが、
エネルギーが強力なだけではなく漢方薬としても通常では決して手に入らないような最上級のものなのだそうで、

他にも、そんなものが存在するのか?という常識では考えられないようなものまで入っている、秘伝中の秘伝のものなのです。



腸は腹脳とも呼ばれ、腸内の環境は脳の働きと直接関わっており、
頭を鮮明にクリアにしてゆくためには腸内環境を良くすることが極めて重要なのです。

エネルギーのコントロールセンターである松果体の活性化ということも、腸環境と直結してきます。



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これからはもう普通の人と同じ腸環境ではダメだという段階に入ったわけです。

今回伝法を受けて行じてゆくエネルギーも、今までのものとは桁違いでした。

本当に、本腰を入れて本気でやって行かないとやってゆけないような内容になりました。


どのみち前に進んでゆく以外道はないので、
どうにか突き進みます。



一休