食物と心
久方振りの更新です。
近頃は行、及び行に関わることに時間が割かれており、ブログを書くことはほとんど忘れております。
あまりに放っておくとブログのエネルギーが寂れてゆくので、少ない内容でももう少し頻繁に更新しようかなと考えているところです。
食物と心について
ウパニシャッド(インド古代の宗教、哲学の奥義の書)では、心は食物によって作られるとされている。
摂取された食物は大きく3つに転換される。
粗く重い部分は排泄され、中間の部分は血肉になり、繊細な部分は心になる。
純粋なものを摂っていれば、心は自ずと純粋になる。
食べ物の性質によって心は左右される。
肉、魚、アルコールなどは心を俗にするので修行者は摂るべきでない、としている。
芸能人の杉田かおるさんは、有機野菜食に変えてから暴力的だった心が非暴力的な心に180度転換したそうです。
一休
激動時代の幕開け
正月早々風邪をひいています。
明らかに浄化です。
年末から特に浄化の波を大きく感じていますが、これは自分だけでなく地球規模での波でしょう。
なにか時世が大きく変わってきていることも感じます。
昨年までは自分としても辛抱の数年間でした。が、今年は何か、変化が具体的に出てきてもおかしくない感じがします。
地球レベルでのエネルギー波動が変化して、急激に勢いを増していってる感があります。
昨年までは変化を望んでもまだ波がきてない、時流がまだという感じだったが、
今年は本当に激動の時代に入ったなというところで、
自分個人にも予期せぬ変化が起こりうる気がしているところです。
これまでのものはもはや旧体制、旧社会になってゆく。
今まで主流だった思想も価値観も劇的に破壊されてゆく流れが始まりそうです。
今までの主流が旧時代のものとなるのも、遠い未来ではないだろう。
古いものが壊れて崩れて、そして目立たぬところから新しい新時代の芽が芽吹いてくる、
その激動の始まりを感じている新年です。
私は年末年始も仕事の休みは特にないので、風邪でしんどいながらも変わらず仕事と修行であります。
一休
今日の出来事
今日の瞑想中にインスピレーションが降りてきました。
家族、家系のカルマ解消、運命拓きということにもっと意識を向けるべし
というような内容でした。
やはり自分はそういうお役目が強くあるのだなと思ったと同時に、
両親の産土神社を調べるべし、ということも降りてきました。
前回の記事で書いたように、
つい先日自分の産土神さまにご挨拶してきたところだったので、産土神さまからのアドバイスなのではなかろうかと思うところです。
自分個人のカルマの浄化ということだけでなく、
家系、ご先祖さまという大きな括りでもっと焦点を当てて、
その全体がより良くなるよう努める必要があるということなのでしょう。
そして、たしかに今身近に接している人のことには想いをよく向けているが、生まれ育った家族や一族のことには普段はあまり気にかけることもないので、
その辺りを指摘されたようにも思いました。
特にまずは両親の運が拓けてくることで、自分にもより大きく運命が拓かれてくるということなのだろう。
逆に言うと、今の時点ではそれだけ歯止めのかかってしまっているものが両の親共にあるということになる。
神との繋がりが深くなればなるほどにより大きく運命は拓けてゆくし、良縁も増えて行きます。
縁結びというものは、人を守護する見えない背後の働きによるところが非常に大きいのであります。
瞑想後すぐに以前自分のを鑑定をして頂いた方に連絡をして、
両親とついでに姉のも、産土様の鑑定を依頼しました。
直感で導かれたような時には、なるべく間を空けず即座に動くべしです。
一休
産土神
本日は昼から時間がとれたので、産土神社へ今年一年のお礼のご挨拶の為に行って参りました。
私の産土神社は車で一時間程のところにあります。
その気になればすぐ行ける距離なのですが、修行や他を優先することが多く約半年ぶりの参拝でした。
普段は手水舎も蓋が閉まっていて社務所にも人のいない小さな神社ですが、
今日は氏子の方々が正月の準備に集まっておりました。
みな還暦を過ぎたおじいちゃんばかりです。
半年ぶりの参拝、
拝殿の前に立つと大変あたたかく迎えて頂けたのを感じました。
今年一年の感謝のご挨拶と、これからの自分の生きる道、その決意と気持ちをお伝えして参りました。
一般の人が神社に行くのにもっとも大事なこととして、
自分の産土神社に行くのが最優先であると言われます。
自分の産まれた場所の近くにあり、魂のルーツとしての縁ある神社です。
そこにおられる産土神さまは、
自分を産まれてから死ぬまでずっと担当している太古の神、言わば魂の親のような存在なのでもっとも大事にする必要があります。
私は密教の行で、日本の神仏以外にも大陸の神様などとの縁を深めて行っているわけなのですが、
それでもやはり一番ベースにあるのは産土神さまとの関わりなのだろうと思っております。
幅広く繋がって行っている神縁も、産土神さまのお陰から始まっているものなのだろうと思っているものです。
今のところ私は、現在の仏教やヒンドゥー教として流れ伝わっている法と縁があり行じているが、
神道のさにわや神業という業(わざ)には縁がない。
これから先伝法されてゆくものの中には、神道の業もミックスされているものもあるようなのだが、まだその段階に行ってないので詳細は知らない。そこに行くまでは秘密事項なのです。
そんなことで自分でさにわは出来ませんので、私はその技能を持った方に鑑定してもらって産土神社を知りました。
自分の経験からも、
産土神さまとの関わりを深めることは、運命を拓いてゆくにとても大切な基礎になるものと思います。
一休
統一体へ
身体、心、気、
修行者はこれが一つになって行くよう、一体となって行くよう修練をするわけです。
統一体と言ったりもしますが、
日本古来の身体文化では、武芸、伎芸、宗教等に於いても、こうしたことが重要であるとして必ず修練されております。
本日の活元瞑想会では初めての方が来ていて、若い女性でしたがかっこいい整体師になりたいとの目標で学びに来られていました。
野口整体では、施術する、治療するという概念はありません。
自分の身体のことを医者や施術者といった治療家に任せて預けてしまうのではなく、
自分自身にしっかりと任せて預けられる、
自分の力で心も身体も健全に生きられるようになるために行う学びの世界であるというのが野口整体であります。
なので整体治療ではなく、整体指導という形式をとっているのであります。
野口整体でも整体操法という、一見するとカイロやオステオパシーなどの徒手療法と似たような技術もあるわけですが、
中身は多くの徒手療法とは違い、
やってあげる、やってもらうという図式で成り立たせるものではありません。
この辺りが野口整体が世間一般から理解されにくいところであるかと思います。
本日来ていた女性も、指導者がこうした話はしていてもよくわかってはいないご様子でした。
現代、常識となってしまっている図式は、
治してあげる、治してもらうというのが当たり前になっています。
自分の乗っている車が壊れたから、調子が悪いから、
でも自分では治せないので車屋さんに預けて治してもらいましょうという、
これと同じことを自分の身体でやっているわけです。
自分では調子が悪いのを、壊れたのを治せないから、
治療家に預けて治してもらうのが正しいと思っているのです。
しかし、
こうして自分の身体のことを他人に任せて預けてしまうのでは、身体の持つ自然治癒力は発揮されてきません。
誰かにどうにかしてもらおうという受け身な心が無意識にでも働いていると、本当の力強い治癒力は出てこないのです。
身体に備わっている自然治癒力というのは心によって無意識に操作されているのであり、
すなわちそれは潜在意識によって操作されているものであります。
であるから、この潜在意識が前向きで積極的なものに変わらない限り、力は発揮されてこないのです。
心が前向きに積極的になるということは、
生き方がそうした生き方になるということです。
もっとも自分らしく活力のある、本来の生き様になってゆくということであり、
本来の自己に還るということであります。
潜在意識領域というのはアストラル体、メンタル体を主に指しており、東洋の言葉では気であります。
霊的には前世などの関わりの深い霊魂と一括りに繋がっている領域であります。
であるから、
前世のカルマ(マイナスな思念)はこの領域から発生してくるのです。
心、身体、気を統一して行き積極的に生きられれば、
カルマの清算ということもスムーズに進むことでしょう。
一休
ドラゴンボール
新たな伝法を受け、行じているところです。
今回のものは厳密な制約が無かったのはよかったのだが、とにかく時間をかけて沢山行わなければならない、
辛抱と忍耐が大事になりそうです。
ゴータマシッダールタは、6年間の荒行苦行を行った後、
苦行によって悟り(正覚)は得られないと悟り苦行を捨て、
このまま死んでしまおうかというほど心身疲弊しているのを、村娘スジャータの乳粥の施しで助けられた。
そして気力体力の回復した後、現在のブッダガヤの菩提樹の下で瞑想し悟りを開いたのです。
この悟りに深く関わっている、そのカギになっているのが、
この地と繋がる龍神、ナーガラージャです。
龍は古来より、人界と神界を往き来する生命体と言われており、
瞑想中のシッダールタの霊魂を神界に導いたのはこのナーガラージャであるということです。
亡くなった人の霊魂を神界へ連れてゆくのも龍神といわれます。
お寺の天井に龍が画かれているのはこのための意味合いが大きいのではないかと思うところです。
もちろん願意を届けるなども含みます。
今回伝法を受けた行は、この龍神との繋がりを図る行であります。
密教最奥の秘中の秘法で創られた法具、特殊な如意宝珠を使って行を行っています。
如意宝珠とは、龍が手に持つ
意のままに、思いのままに願いの叶う珠、
要するにドラゴンボールです。
私は子供の頃から一番好きなマンガはドラゴンボールで、
よく神龍の絵を書いていました。
今回伝法を受け如意宝珠を授かり、なんだかワクワクしました。
私の授かっている如意宝珠は修行用の法具として特殊に創られた物なので、マンガに出てくるドラゴンボールとは見てくれは似ても似つかないものだが、
子供の頃の憧れが、こういう形で現実になっているのを嬉しく感じました。
願いは何よりも第一に、人を救い上げることのできる力を自分が身に付けること。その導きであります。
とにかく瞑想行に時間を沢山使うことになるのだが、
ドラゴンボールを読みたくなっている今日この頃です。
合間を見て本屋に行こうかとも考えているところです。
一休
感謝という技法
車のリコール、点検のためディーラーにて待機中です。
暇になったので書いております。
感謝をするということ、
これは多くの人が気付かずにいるのではないかと思うのだが、
これには非常に大きな力と可能性があるのを私は実感しているものです。
特別な技法ではない、
誰にでもできて無限の可能性を秘めた浄化法、と言っても言い過ぎではないかもしれない。
不運、不遇を受け、怒り苦しみ悲しみにとらわれる。
恐怖、不安にとらわれる。
人は必ずこうしたことを体験する。
苦しみも悲しみも恐怖も、外の出来事にあるのではなく、
全て自分の中、自分の心に存在しているものであります。
そうして心に起こる陰性感情、ネガティブなエネルギーは、
受け入れることで浄化される。
受け入れることで流れて行く。
とらわれていれば苦しいだけでなく、ネガティブを膨らませてしまう。
見て見ぬふりをしようものなら、もっと大きく膨らませてしまうことになる。
そしていつか必ず無視することのできない不遇な出来事として身の上に降ってくる。
受け入れるためには、
沸き起こったネガティブな想いを、
感謝し、歓迎してしまうことであります。
心に起こった苦しみ悲しみ、恐怖に、
お陰様でありがとうございますと言ってしまうことであります。
お陰で本当の自分に一つなれていると、
本当の心を、本当の気持ちを知ることが出来ましたと、
心を込めて、感謝の想いをネガティブな気持ちに届けるのです。
感謝の高波動でネガティブな滞りを溶かしてしまうのです。
私はこうするとよく涙が出てくる。
こうして浄化してゆけば、ネガティブは軽減しそれ以上膨らんでしまうことは無いのであります。
流れれば受け入れられてくる。
ネガティブな想いは、行きどまりのエネルギーであります。
滞った詰まりを取り去ってゆけば、流れ出し受け入れられてくるのです。
これは誰にでもできる、非常に優れた浄化法と思います。
一休