時間も加速
そろそろ1月も終わりです。
やけに早く感じています。
次元上昇に伴い時間の進みもどんどん早くなっているのでしょう。
数年前と時間の感覚が違うのは、歳をとったからというばかりではないだろう。
急速に速度が上がっているように感じております。
次元が上昇するほどに速度は実際に速まるわけなので、
自分が低い意識で低い波動で生きていれば、本当にあっという間に時間だけ過ぎて行ってしまうでしょう。
しかし、自分自身が高い意識で高い波動で生きればよりいっそう密度の濃い、内容の濃い時間を過ごせるということでもあるわけだから、
断然そのように生きるべきところです。
のんびりはしてられません。
こんなこと、去年まではそこまで強く思うことはなかったものです。
が、
今年は本当に何かが大きく違う。
私だけでなく、世界が、全てがそのように変わっているはずと思うところです。
一休
一人ぼっち
一人ぼっちの語源は、独り法師、あるいは独り坊主だそうです。
どの宗派、寺にも属さずに独りで山に籠ったり行脚したりしているような僧のことで、軽蔑したニュアンスの言葉だったようです。
破門されたり、集団に馴染めずのけ者にされたような人に対して使われていたようですが、
自分の考えではそういう人ばかりでなく進んで独りになっていた僧も多くいたのではないか、と想像します。
周囲よりも真理を悟ってるような人は、形ばかりの俗っ気の多い真理に暗い坊主たちとは波長が合うわけがないし、
真理を探求してゆく道は、やはりどこまでも孤独な道であると私は感じ思っているのです。
あくまでも心の在りかたとして、ということなので周囲に人がいたらいけないということではないと思うが、
実際に独りになっている方が、周囲から邪魔されたり足を引っ張られたりということもなく、余分な争いやいざこざを遠ざけて求めるものを追求して行けると思うのです。
村八分という言葉があるように、
日本は村社会の集団意識、派閥意識が強く、お寺の中も然りだっただろう。
宗派間の争いもたえずあったであろうし、中は俗社会と同じ縦社会の権力争いもたくさんあっただろう、
結局多くの寺の内部は娑婆となにも変わらなかったのではないかと思えます。
昔からそうだが、基本的に私は組織や集団のなかで生きるのが嫌いです。
馴れ合うのも嫌いです。
この独法師という言葉が、自分にはしっくりきます。
一休
一瞬、一点の変化
心身の変化というものは、一瞬で起こるものであります。
変化するのに必要なのは、ピンポイントの一点であり、一瞬です。
一般に普及して流行っているヨガなどの運動では全体をあいまいに行うものであるので、心身にかかる負荷は少ないためやり過ぎなければ身体を壊すようなことにはならない。
しかし、本当に心が動き心が変わるために必要な当たるべき一点に当たらないから、変化もあいまいなものになる。
目に見える外側は柔軟になっても、目に見えない裡の変化は少ない。
詰り、滞りが抜けて行くのに重要なのは、心と身体を分離してしまっているその一点です。
そして抜ける時は一瞬であり、それ以上の負荷がかかっても足りなくてもいけない。
身体は、動きやすいところから動くという性質があるため、
あいまいな動作、意識的な動作では本当に動きにくくなっているところ、裡であり深部でありに動きが到らない。
動かなくなっているところとは心の動きの詰まりであり、
肝心なそこが動きだして来なければ、深い心、無意識が拓かれてこない。
表面的な外側がよく動いても、裡なる部分が動いてこなければ健康維持、リラクゼーション以上の行果がなかなか得られない。
霊性修行で大事になるのは、
心が深く動いてくることであり、それが神性、仏性を引き出してくることであります。
心が深く動いてくるということは、意識が大きく拡がるということでもあり、
それは限定される要素が減って行くことです。
自分のため、が、
身近の人のため、になり、
より多くの人のため、になり、
生きとし生けるすべてのもののため、になる。
簡単に言えばそういうことでしょう。
まずは自分のためです。
心が深まるには、滞りを無くし満たさなければならない。
自分の心が満ちて深まった分だけ、本当の意味で人のために生きられるようになるのであります。
一休
活路を拓く
今年に入った頃からでしょうか、
早く次の段階へ人生を進めて行きたいという気持ちがどんどん膨らんでいます。
今の仕事でやらなければならなかった課題、果たさなければならなかった目的というものも一段落ついているのを感じているものの、
しかしまだ次の進む形が見えてこないという状態であります。
むやみやたらと頭で考えてもこうしたことの答えは出てくるものではないので、
出来ることから動きをつけて行っております。
さしあたって、いつでも動けるよう引っ越しの準備です。
必要最低限の物以外は持たない。
これでもかというくらいまで身軽に整理して行こうとしています。
今の自分のようなときや、
身辺の状況が滞ってしまっているようなときなど、
まずは出来るところから、身近に思いつくところから動きをつけて行く。
さすれば気は流れだし、流れが流れを呼び、活路が拓かれてゆくというものであります。
一休
食物と心
久方振りの更新です。
近頃は行、及び行に関わることに時間が割かれており、ブログを書くことはほとんど忘れております。
あまりに放っておくとブログのエネルギーが寂れてゆくので、少ない内容でももう少し頻繁に更新しようかなと考えているところです。
食物と心について
ウパニシャッド(インド古代の宗教、哲学の奥義の書)では、心は食物によって作られるとされている。
摂取された食物は大きく3つに転換される。
粗く重い部分は排泄され、中間の部分は血肉になり、繊細な部分は心になる。
純粋なものを摂っていれば、心は自ずと純粋になる。
食べ物の性質によって心は左右される。
肉、魚、アルコールなどは心を俗にするので修行者は摂るべきでない、としている。
芸能人の杉田かおるさんは、有機野菜食に変えてから暴力的だった心が非暴力的な心に180度転換したそうです。
一休
激動時代の幕開け
正月早々風邪をひいています。
明らかに浄化です。
年末から特に浄化の波を大きく感じていますが、これは自分だけでなく地球規模での波でしょう。
なにか時世が大きく変わってきていることも感じます。
昨年までは自分としても辛抱の数年間でした。が、今年は何か、変化が具体的に出てきてもおかしくない感じがします。
地球レベルでのエネルギー波動が変化して、急激に勢いを増していってる感があります。
昨年までは変化を望んでもまだ波がきてない、時流がまだという感じだったが、
今年は本当に激動の時代に入ったなというところで、
自分個人にも予期せぬ変化が起こりうる気がしているところです。
これまでのものはもはや旧体制、旧社会になってゆく。
今まで主流だった思想も価値観も劇的に破壊されてゆく流れが始まりそうです。
今までの主流が旧時代のものとなるのも、遠い未来ではないだろう。
古いものが壊れて崩れて、そして目立たぬところから新しい新時代の芽が芽吹いてくる、
その激動の始まりを感じている新年です。
私は年末年始も仕事の休みは特にないので、風邪でしんどいながらも変わらず仕事と修行であります。
一休
今日の出来事
今日の瞑想中にインスピレーションが降りてきました。
家族、家系のカルマ解消、運命拓きということにもっと意識を向けるべし
というような内容でした。
やはり自分はそういうお役目が強くあるのだなと思ったと同時に、
両親の産土神社を調べるべし、ということも降りてきました。
前回の記事で書いたように、
つい先日自分の産土神さまにご挨拶してきたところだったので、産土神さまからのアドバイスなのではなかろうかと思うところです。
自分個人のカルマの浄化ということだけでなく、
家系、ご先祖さまという大きな括りでもっと焦点を当てて、
その全体がより良くなるよう努める必要があるということなのでしょう。
そして、たしかに今身近に接している人のことには想いをよく向けているが、生まれ育った家族や一族のことには普段はあまり気にかけることもないので、
その辺りを指摘されたようにも思いました。
特にまずは両親の運が拓けてくることで、自分にもより大きく運命が拓かれてくるということなのだろう。
逆に言うと、今の時点ではそれだけ歯止めのかかってしまっているものが両の親共にあるということになる。
神との繋がりが深くなればなるほどにより大きく運命は拓けてゆくし、良縁も増えて行きます。
縁結びというものは、人を守護する見えない背後の働きによるところが非常に大きいのであります。
瞑想後すぐに以前自分のを鑑定をして頂いた方に連絡をして、
両親とついでに姉のも、産土様の鑑定を依頼しました。
直感で導かれたような時には、なるべく間を空けず即座に動くべしです。
一休