人を呪わば
人を呪わば穴二つ
この穴二つとは、
墓穴のことであります。
呪いとは特別な世界の話ではなく、
日常的に普通の人も気づかずに行っているものです。
言い換えれば、念
悪想念です。
念とは恐ろしいもので、
他者に向けて放った念というのは、必ず自分の身にも返ってきます。
あのやろうムカつくな、のその一つでも、
その念は確実に相手に飛んで行き、その相手のエネルギー体を傷つけます。
そして必ず自分にものし付きで返却されてきます。
相手が気づいていようがいまいが、
自分をどう思っていようが関係なく、
です。
宇宙に放ったのが宇宙から返ってくるのです。
人を呪わば、
相手と自分と、二つの墓穴が出来るのです。
相手を不幸にし、自分も更なる不幸に陥れることになるのです。
霊的な守護、霊的なバリヤーの弱い人に、他人をよく呪ってるような人もいます。
自らの発する悪想念でエネルギー体を弱めています。
悪想念が取り巻いてると、トラブルや怪我が多くなったり、病気でやられたりします。
身近な人にもお裾分けが行き迷惑をかけます。
芸能人、有名人など人目に多くさらされる人、
部下を持っている立場のある人など、
嫉妬や不平不満を多く受けてやられています。
他にも邪な念を受ける仕事をしている人、そういう立場にある人は数多くいると思うが、
こうした人は特に霊的な守護の強化、エネルギー体の強化が必要なものと思います。
これは非常に大事なこと、と私は感じています。
呪いの念とは反対に、善い念を使えばそれも同じように相手には届くし、自分の元には何倍にもなって返ってくるのです。
だからこれを大いに使うようにしないといけない。
我々修行者は要注意なのです。
霊力が増せば増すほど、返却されるものが大きくなります。
悪想念を飛ばせば普通の人よりもそれだけ大きくなって返ってくるので、
覚悟しなさいと言われます。
一休
今日の日記
瞑想行に費やす時間が増えてきたので、あまりお出かけもできずにおります。
ジャパマーラーが力の強いものになったせいか瞑想でもエネルギーが深く入り、終わると力がガタガタに抜けててクタクタに疲れます。
深部の不随意緊張が弛んでくると、温泉に長く浸かって湯あたりしたあとのようになるのです。
多くとれないフリーな時間も疲労感で休みたくて、、
心の養生がちょっと追いついておりません。
そんな最近の日々の中で、
夢と憧れが心の中で膨らんでいます。
ヨーロッパや北欧には行ってみたいところが沢山あります。
といっても、旅行というのには興味がなく、短期間でも住んでみたいのです。
そこの文化、風土、人々の暮らし、そこにしかない様々なエネルギーが自分の中に浸透するまで深く入りこみたいのです。
旅行だとそのときだけの感激で終ってしまうのでじっくり味わえない。
私はかつてフランスに半年程滞在してたことがありますが、
やっぱりその国の暮らしに慣れてくるまでにはそのくらいは必要でした。
いずれヒーラーとしてヨーロッパ、北欧出張とかが叶わないかな、と夢想しております。
この先修行でインドヒマラヤ、アジアの国には時期がくれば行くかもしれないが、
夢とか憧れとかいう感じは全くないです。
北欧でオーロラをいつか見れたらいいなと、
歌姫ビョークのアイスランドもいいなと、
日本の狭い部屋で、夢想してせめてもの心の養生をしてます。
一休
良質な水を
人間の身体は、そのほとんどが水分で構成されているというのは周知の事実でありますので、
良い水を摂ることが如何に重要かということを思います。
水は、エネルギーを記憶し蓄えます。
ネガティブなマイナスエネルギーは人体の細胞内に蓄積されております。
骨から筋肉から、神経、血管と、いろいろな処に留まって蓄えられてしまっております。
家の中でも、水回りは特にマイナスエネルギーが蓄積しやすい場所です。
風水で水回りの気場を調えることをよく言うのはそれ故かとも思います。
水回りの清掃がなされていないところなどはマイナスが強烈だったりするのを実感します。
水は電気もエネルギーもよく通し伝えます。
伝法やヒーリングでも、水の中で行う、水の中でエネルギーを伝えるものもあります。
脳の信号は微細な電気信号であることも現行の科学で周知のとおりです。
その脳内は80%が水分ということですので、
そのことからも、脳内の水分、血液が良質なものになるのが重要であることが想像できます。
私は今はアマゾンで購入できる観音温泉水を常用の水として飲んでおります。
エネルギー的には、料理、汁物なども体内に取り込む水は、水道水は避けたいところです。
浄水器を使っても、マイナスが抜けているようには感じません。
良質なエネルギーを記憶している水を取り込むことで、体内の水分にそのエネルギーは浸透してゆきます。
霊泉を飲むことで重病を治すという方法も、日本にも外国にも昔からのものがあり、医者が匙を投げたのが改善しているという実績もあります。
現地で涌き出てるそのままのものはそれだけの力があるのだろう。
なるべく良い状態の水分を、日々摂取したいものです。
一休
低級、中級、高級ヒーリング
ヒーリングや霊能、エネルギーワークと言われるものなど、
現実には、ひどく悪質なものからあまり良質とは言えないな、くらいのものまでけっこういろいろと氾濫しているのが窺えます。
このブログの広告にもそうしたものが載っております。
目に見えないものを扱っているだけに、低俗な商売道具にもなりやすいのでしょう。
基本的に、それが本当に正しいものか、良くないものなのかは、
そのヒーラーの背後の繋りでほぼ決まってくるものと私は思います。
人間と同等、あるいはそれ以下の低級霊、低い領域と繋がっているものは正しいものではないです。
自分が感じる限りで言えば、
看板を大きく掲げて、商売が先にたっているようなのは背後の繋りが良くないものばかりと思います。
本当の高級霊、高級な領域と繋ってこうした仕事を行う場合、商売優先という俗な思考では繋がれると思えません。
金額が高いか安いか、受け手の金銭感覚で判断できるものでもないと思います。
正しいものであってもお金はかかりますし、
安い方が良心的だろうという考えも、それ自体が俗っぽい感覚でもあります。
ある程度良心的に行われていて良い効果のあるもの、というレベルのものもあると思います。
四次元レベルのエネルギーを扱うものは、ヒーラーの精神性の高低に関わらず扱われているようです。
精神性の低いヒーラーが扱ってもそれなりに効果はあるだろうから、商売にもなるし宗教にも利用できるだろう。
しかし精神性の高いヒーラーの扱うものと違い、低いヒーラーの扱うものであればマイナスな影響も受ける可能性が多分にあるかと私は思います。
本当に高い次元の高級霊との繋りで行う場合、
正しい人間性精神性、人格作りというか、そういう基本的なものが出来てこないときちんと繋がれません。
俗な邪心邪念があれば、厳しく指導も入ってきます。
自分を律することのできぬ内からそれを仕事にして人様からお金を頂くなどはさせてもらえないはずです。
しかし、高級霊の意に沿うことをきちんと行っておればその繋りは深まるので、
必要なものは必要な形で整うよう後押しを頂けるのです。
受け手とのご縁も繋いで頂けるから、広告や看板なども必要最低限でこと足りるはずなのです。
集客に力を注ぐ必要はほとんどの場合ないはずなのです。
無料とか割引きとかをもし前面に出してるようなら、そこでやっているのは商売なわけで、
高級霊との繋りで行われているとは考えにくいと思います。
うさんくさいもの、誠心誠意を感じないのに効果を期待して求めても、
いい結果にはならないだろうと思います。
効果さえあれば効きさえすればなんでもいいから、
といった見境のない心でいると、あまり良くないものとのご縁ができるというものです。
一休
いじめとカルマ
今朝のテレビではいじめ後遺症について放送されていました。
大変な苦しみの中で生きている様子も紹介されておりましたが、
とても根深いカルマを感じました。
こういった根の深い心の問題こそ、自分の行うヒーリングの扱う領域と言えます。
一般常識的な多くの認識が、
心の病、心の問題➡精神科の病院へ
という選択になっていると思いますが自分が思うところとして、
多くの今の精神科の病院には、こういった心の問題を根本から解決し、消滅に向かわせる力も技術も持っていないと思います。
目に見えない心を対象にしているのだから、扱っているのは目に見えない氣、エネルギーの領域なのです。
もっと常識的にも一般的にも、氣エネルギーを扱うヒーラーの存在が認知されればなと思います。
私は、こうした根の深いカルマを背負って生きている人が、そこから脱け出して行くのを手助けするために修行に勤しむことになっているのだろうと思うのです。
より深いカルマ、地獄から這い上がるのを引っ張りあげるような力、
私が身につけて行っているヒーリング力は、そういった類いの力なのです。
今の時代、今のこのタイミングでは、
これまでだったら何回も生まれ変わらなければ消化できないようなカルマも、
たった一回の人生で消化してしまうことが可能だと言われます。
何百年、何千年分をたった一度の人生でできてしまう、
それぐらい、ポジティブなエネルギーが強力に働く時代なのです。
そんな時代だからこそ、
より困難な課題を沢山抱えて、それを消化すべく今のこのタイミングに生まれ来ている人というのも多くいるはずなのです。
今暗闇の中に埋もれている人も、
既に光を得て力を増している人も、
同じ時代に生まれ合わせ、同じ課題に取り組んでいる同志であります。
薄暗い世界を、光輝く世界に変えるというミッションを皆で共同作業で行っているのです。
何かしらその一部を自分の心の闇という形で担っているのです。
光を導く側の人があり、それを受け取る側の人があり、
双方が合致して一つ、
どちらもより光るために必要なお互い様なのであり、
どちらに上下も優劣も、本質的にはないのであります。
自己も、他者も、世界も、すべては同じ一つである、
自他一如、なのであります。
一休
修行者の数珠
先日新しい法具を拝受したところで、
昨日の行から使い始めました。
私の行う瞑想行法では通常、ジャパマーラーと呼ばれる数珠を使用しております。
宗派や法の系列によって様々あると思いますが、インドやアジアのヒンドゥー、仏教圏ではよく使用されるものです。
この数珠では菩提樹の実がよく使われていて、クルミのような実にいくつかの面があります。
水晶や水のようにエネルギーを記憶する性質に優れていることから、神聖な実として昔から修行者はこれを数珠にして使っているのです。
面の数とその意味や効果についてはいろいろと言われているものがあるが、
今回自分が拝受したものは6面の数珠であり、われわれ行者としてはシッディー(法力)を得るのに必要なものということです。
そして何より重要なのが、
実際に入っているエネルギーの質と強さであります。
今まで使っていたものは、ヒマラヤ及びインドネシアの老聖者にエネルギーを入れてもらっているものであり、
どちらも表には決して出ない無名の方だが、凄まじいエネルギーを宿してる方々です。
なのでそれでも十分なエネルギーの入ったものではあったのだが、
自分が今行っている段階、そしてこれから人様のために法を扱ってゆくことを考えると、これではもう足りない力不足になってきていたところでした。
そこで、相談をしたところ巡ってくることになったのが今回のもので、
これは師匠が年月をかけて特別に熟成させていたもので、いろいろと特殊なエネルギーも染み込んでおります。
サイズも大きくて重く、もはや素人が手にできるようなレベルのものではなくものすごいエネルギーです。
自分と同じような数珠を使っている修行者は相当数いるだろうが、
こんなものを手にできる人はそうはいないだろうと思うもので、
行者としては自分は本当に恵まれているなと、感謝しているのと同時に使命も感じています。
修行者にとっての数珠は、武士の刀とも言えるようなものであります。
使い込むことでエネルギーも増して、切れ味鋭くなってゆきます。
今までは木刀で修練していたのが、ついに真剣を手にした感じです。
それも名匠の業物という感じであります。
やっと持つことを許された、その段階にきたのだろう。
初めて手にした真剣は、心にも重くのし掛かかり扱いづらいところであるが、
どうにか少しでも早く、自分の得物として使いこなせるよう行じてゆく所存です。
一休
神々の世界、人々の世界
優れた僧や、聖者、賢者と言われるような人の中に、即身成仏される人がいます。
即身成仏と言わずとも中身としては同じ、あるいは似たようなものと言える亡くなり方をしている方がいるものです。
だいたいそういう方というのは自分の死期を覚っていて、
周囲の近い人にはそれを漏らしたり伝えたりしていた、という話がよくあります。
宗教や地域によっては、このような方の死を祝うところもあると言います。
肉体という重い殻を脱ぎ捨てて、時空間の制約のない形へと存在の在り方が変わるので、
その方がより活躍できるという面があるわけです。
非物質界に住まう神仏や様々な高次元の存在というのは、
重い肉体を持った我々には及ばないような力や働きを持てるものであり、
だからこそできる人々の救済、幸福の手伝いというのがあるものです。
しかし、我々が主体的に捉えてるこの物質界においては重い肉体を持った我々人間の方が力を持っているという一面もあり、
肉体があるからこそできる人の幸福の手伝い、そして神仏や高次元存在への手伝いというものもあり、
そちらの面も一方で大事になるのであります。
神は人の敬いによりて威を増し、人は神の徳によりて運を添う
これは神道に伝わる教えの言葉です。
私は神は敬うべきと思っておりますが、
神と人とは共存、共生しており、
ある意味、持ちつ持たれつの関係と言える面もある、とも今は思っております。
なんにしても、
神々や精霊を、そしてその宿る大自然を大切にし敬うことでこそ、
人はそれらに護られて、本当の心の豊かさ、幸福を享受することが可能になってゆくというものなのであろう。
最近、神道から学ぶものが多いです。
この狭い国でセカセカと時間に追われ働いてばかりの今の日本人は、スケールが小さくて本当につまらなくなってますが、
昔の日本にはもっと雄大なものがあったんだなあと思うこの頃であります。
一休