一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

釣り合う

人の関わりというのは、やはり釣り合うものだなと思います。

よく波長の法則などと言いますが、
自分と関わる人はどこかしら同通する要素があるものです。


ひどい人と関わる相手は、それなりにひどい面を持っていることが多い。

似たような面を持つ者どうしが引き合っていることもあれば、一見正反対のものが引き合っていることもあります。

自信の無い女の子と、自信過剰な男の子のカップルなんていうのもよく見掛けます。
真逆のようにも見えて、実際にはどちらも拠り所となる自己ができていないという中身は同じで釣り合っています。



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自分の主張しかできない、自分の言いたいことばかりで相手の話を聞けない人がいます。

自分の主張ができない、言いたいことを相手に言葉で伝えることができない人がいます。

相反していますが、どちらも一方通行のやりとりしかできないことは同じです。
キャッチボールにならない。
循環しません。



整体ではこの、
言いたいことしか言えない、人も
言いたいことが言えない、人も

どちらも耳が悪いのだと野口先生は仰います。
言葉で話す、伝えるという発信の機能が悪いのは、耳という受信機の機能が悪いからであり、元の原因は同じということです。
だから耳を調整すればいいと言います。



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数年間、切磋琢磨して関わってきた人達との縁もそろそろ終えて、
新たな出会い、新たなご縁を求める気持ちが大きくなってきていますが、まだ環境の変わる兆しがみえないところです。


内界と外界は釣り合っています。
何かもう一つ、内側を見つめて発見しなければならないものがありそうな感じもしている今日この頃です。



一休

自分は今生でどれだけ夢を叶えられるだろうか?
と時々思います。


望む夢の形も時と共に変わって行きます。
浮かんでは消える、揺れ動く夢もあります。

しかし、どうしてもこれだけは叶えたい、と揺れず変わらず思うものがやはりあります。


ふと自分の人生を振り返ると、なんだか辛抱の連続だったような気がしてきます。
今の心境がそう思わせている、というのが実態なのだろうが、

ひたすら辛抱をさせられてきて、このまま行ったら本当に辛抱だけで今生が終わってしまうんではなかろうか?
などという思いも頭をかすめたりします。



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幸せとはなるものでなく感じるもの。

幸せだと感じられる心を手に入れる。



幸せとはそういうものだと思っていますが、
それでも、味わいたい具体化された想い描く夢はやはりあるものです。




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今という時代、このタイミングは本当に特殊で、
これまでの過去の時代とは条件が全く異なる時だといいます。

肉体を持ったまま3次元→4次元へ移ってゆくその流れの中に身を置いているのであり、
それは肉体よりも霊体が主体になってゆく流れである、ということです。

これまでは肉体が主体であったからイメージ空想(霊体領域)の力は普通の人は弱かったのが、
今は、そしてこれからは霊体の主体へと比率が大きくなってゆくので、イメージ空想したことが実体化される力がますます大きく、そして早くなる、

という、
そういうタイミングを今は生きている、ということです。



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なんとか未練を残さず、今生を終えたいものです。



一休

礼が人を創る

日本では昔から心身一如、心と身体は一体であると言います。

私は修行を通して、具体的になにが、どこがどういう風に繋がっているのか、一体なのかというのを体感理解で学んでいます。

頭で理解し、身体で感覚で感得して、
本当の理解が深まって行きます。



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野口整体では道場に入る時に一礼をします。
場に対しての礼です。

行を始めるにあたっても相手があれば相手に一礼から始めます。
終えた後も同じく感謝の一礼をします。

一人で行を行う際も同じく一礼から入ります。


日本では伝統芸能、武道、宗教などでもこの基礎はだいたい統一されてるように思います。

八百万の神を大事にしてきた日本では、
それぞれの土地や場所、目に見えない空間にも、人の中にも神を見て尊んできたことが表れています。



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心の動きと身体の動きはやはり一体です。
心の動きが是正されてくれば、身体の動きも是正されてきます。

反対に身体の習慣的な動きを礼儀作法を身につけたりなどで是正して行くことで、心の動きも次第にそれに付き従ってきます。

醸し出す雰囲気にもやはり品位が出てきます。


野口先生は、
整体とは感受性を高度ならしむるものと仰有っていますが、

感性を育てるということに於いてもこれは深く関わってます。


私は以前は、10代のときからロックやメタルが好きで音楽ばかり聴いて来ましたが、
ネガティブな要素の強いものはだいたい良くない霊界と繋がって影響を受けてます。
今になってそれもよく分かるようになってます。
そうした影響の大きいものは今ではもう聴きたいと思うことはなくなりました。


ネガティブなものが良く感じるとか、
ドクロとか魔を感じさせるような物が好きとか、ワルっぽいのがかっこ良く思えるとか、

こういうのはだいたい良くない霊界の影響を受けることで感じられている歪んだ感性です。

もっとも本来的な純粋な自分の感性からは外れてしまっているものと思えます。


時代を越えて支持されるような普遍的に心に響くような名作は、良くない霊界の影響を受けずに、
高い霊界からの影響を強く受けてその人本来の純粋な感性で創られてるのが感じられます。

そういうものにはそれなりの品位がある。
いわゆる上品な感じでなく野性的であっても、決して下品ではない。



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これまでの時代ではネガティブな闇のものにも価値の見出だせる要素があったと思いますが、
これからの時代、光への統合が成されて行くこれからは歪んだものはどんどん淘汰されて行くだろうと思います。


日本的な礼儀作法ばかりが正解とは思いませんが、

神の国日本なだけあり、
とりわけ高度で精妙な波長が、この国の礼儀には籠っているようです。



一休

お休み

しばらく先へ進む課題の行はお休み中です。
瞑想行も日々の祈りとして、日々の浄化としての瞑想以外はほとんど行っておらずです。

その代わり新しい情報がとにかく沢山入ってきて頭が追いつかないほどだが、
特に霊的な世界の深い理解へと繋がっていっています。

今はそんな形で意識の変革が進められてる感じがしてます。


神祀り、先祖の供養、新たな霊的な視点、部屋や修行環境の改変など、

新たな理解、より進んだ理解へと、変革が忙しく、




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修行はしばし休憩中。





一休

参拝日記

先日、武蔵国一ノ宮の大宮氷川神社へ参拝して来ました。

自分の住んでいる処の一ノ宮なので、年に2回は参拝し感謝のご挨拶をするようにしています。



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ここの境内に来るといつも感じます。

神社とその神々が宇宙と繋がっているのだというのがよく感じられるのです。

もう何年も前に日光の東照宮に行ったときも、とても強くそれを感じたのを覚えています。



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だんだんと、自分の処へ巡って入ってくる情報も高度なものが増えています。

宇宙や地球、生命、此の世彼の世の成り立ちから、
神々の存在やその世界の様相、
歴史や宗教の真相など、

主にネットを通してだが、数年前では理解できなかっただろうし受け入れきれなかっただろうと思えるような高度な情報が、理解力が高まるにつれてなのだろう、入ってきます。



密教が何故秘密の教えなのかと言えば、その一つには、

まだ意識の低い段階にいる人に、その宇宙の真相を説いたところで決して理解されることはなく、毒にしかならないということがあるからだろう。

物事を理解するには、それを理解可能な意識レベルに到達しなければ無理なのであり、
それはつまり波動が上がらなければ無理なのです。


アインシュタインが言っていた、

問題を引き起こした意識領域に、その答えは存在しない、
というのは同じことで、


真実を覚ってゆくには、

自分の意識レベルが上がる、
すなわち波動(周波数)が上がる、

ことによって可能になる。


簡素に言えばそういうことでしょう。



一休

今日の日記

夏から続いていた課題の行も満行を迎え、今しばしの休息期間です。

今回行っていたのは、今後扱ってゆくヒーリングエネルギーの源泉にあたる神の力を得る行であり、やはり重要なものでした。

その神の御神体ともご縁があり、自分の元へ由緒のある確かなものが巡っても来ました。


前の記事に書いた車での事故が起きたのは、
実はこの御神体が来ることになったのと時を同じくして起きたものだったので、
おそらく新しく頂けたご縁で更にシフトアップしてゆくのに必要な業出しがあったのだろうと考えています。



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今日はまた北鎌倉を散歩しに来て、今は大船駅のすぐ近くの、
かんのん食堂 で食事をしています。

魚屋さんと一緒になっている居酒屋食堂で、久しぶりに魚も食べました。


このお店は何度か来ているのですが、いつも活気があって明るい雰囲気でいいお店だなあと思っています。

私は行者であるからという理由以前にそもそもお酒は飲めないのですが、
ちょっとした付き合いなどで居酒屋に入ると、あまり良くない感じの気が漂っていることが多いというのが自分の感想です。

たまたまそういう店にあたってたからかもしれないが、
飲み屋さんという性格上の理由もあるかと思います。


飲んで日頃の憂さ晴らしとネガティブなものが吐き出されてるような、そういうお客さんの集まるところはやっぱりよくない感じなのだと思います。


此方のかんのん食堂では、お客さんを見渡しても悪酔いしてるような感じの悪いタチの悪い人は居らず、
ここにいると回りから陽気なエネルギーがもらえてます。

こういうとても感じのいいエネルギーのいい店にはやっぱりこれがきちんとあります。


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きちんと神さまをお祀りして、日頃から大事にされているのがよくわかります。


神棚にいい神気が感じられるのは守護して頂けている証だと思います。

このお店はかなり歴史もありそうなお店ですが、
気の流れ、運の流れの中で沈む時期もあるのを乗りきって続いてこられているのでしょう。


こうした商売が永く続くのは、やはり神の加護が厚いからなのだろうなと思います。

いい商売をされているのでしょう。



一休

変化の話

1年前くらいから密教の修行も本格的になって行き、エネルギーも扱う法具も非常に強力なものとなって来ました。

瞑想行等に使う時間も長くなり、仕事は出来る限り減らして修行に時間を多くかけるようにもなっています。



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いつ頃からかよく覚えていませんが、以前と大きく変化したことが一つあります。

以前は人混みに行くと、人や低級霊のマイナスの念波にすぐに悪影響を受けてくたびれてしまっていたのですが、
今はそういうことがなくなりまして、普通に特に問題なく人混みにも居られるようになりました。

かといって好き好んで居たいとは思いませんが、電車での移動に苦労が無くなったので楽です。


邪気の強いエネルギーの悪いところでもそれほどの影響を感じなくなり、

ある意味鈍くなったような感じもします。
エネルギー体が強く整って来るとこのようになることもあるのだなというのを一つ実感しています。




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エネルギー体を語る上ではチャクラというものがよく出てきますが、

このチャクラも肉体同様、「弾力」が重要であると言います。


締まるべき時にグッと締まり、弛むべき時にサッと弛む。

開くべき時にパッと開き、閉じるべき時にフッと閉じる。

赤ン坊のように柔軟で弾力のある状態がいいわけです。


肥田式強健術肥田春充氏は、その筋力を、
締めれば鋼鉄の如く、弛めばバターの如しと言われています。


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低俗な欲求や性欲に溺れているような人の多くは、低い霊界や悪しき霊存在に繋り悪影響を受けています。


そうした低い欲求ばかりが強いのは下位のチャクラが言わば開きっぱなしのようになっており、そこから生命エネルギーが常に漏れ出ているからで、

そうした状態が続けば当然老化も早くなり寿命も縮まります。


閉じて開かず働きの悪いのも良くないですが、
駄々漏れも良くないです。



一休