一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

損害もカルマ

新たな行の最中です。


先月は初めて車で大きなもらい事故に遇うという業出しもありました。

周囲の人に話すと、
それは災難だったなとか、相手や保険屋にもっと文句言った方がいいとかいう話にもなるのですが、

霊性修行者としてはこうして降ってきた損害も歓迎すべき出来事、バッドカルマの取り除きです。
実際そうして取り除きとしてバッと起こってくれると、心がすっきりするという不思議な感覚になります。


この様なとき普通ならだいたい、苛立ってムシャクシャしたり気分が凹んだりするものと思います。
損失をどうにか減らそうとするなんてことも、我々の立場から見ればもったいないことです。

目の前に見えてるお金などの損失が減って満足したとしても、
人を言い負かしてやっつけて気分がすっきりしたとしても、

それでは目に見えない天のカルマのマイナスポイントをまた足してしまうことになります。
それではもったいない。



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この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。
それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。
次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。


悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ。


悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ。


めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。


この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは 大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。 
借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。

<日月神示より>




本当の霊性修行者の考えや行為というのは、多くの人の目にはバカに映るかもしれない。奇異に映るかもしれない。


この世の原理、真理を熟知した徳のある人物には度々見られることです。




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一休

今日の日記

なんとなく一年前頃に書いた自分のブログを読み返していました。

そう言えばこれを書いてた頃は今よりもずっと気楽に過ごしてたんだなと、当時を思い返していました。



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早く次のステージへと身の回りの環境、状況を進めなければと思うようになってきた頃から、反対に足を引っ張られる感じも増えてます。
周囲の関わる人や状況の、低く重い波動がしがみついてきます。

もう一つ高い波動域へ進もうとしている今、例えればビルの一つ上の階へ進もうとしているところです。

そうなれば関わる人も、周囲の環境もたぶん大きく変わることになりそうです。



そこへ今の階にいる人やなんかが、上にあがるな、行ってしまうなとばかりにしがみついてきます。

自分の波動が落ちてくると、振り払えずに引き戻されて乱されたりするが、そんな時でも一つずつしっかりと波動を上げることに努めるしかありません。


階段を一歩ずつ昇ったり降りたりしながら、少しずつ上の階へ近づいてます。



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やはり一段上の波動域にシフトアップするような時には、引き戻す力もずいぶんと働いてくるもので、
それは当然不快なものです。


もう今の状況や関わっている人の多くが波動が低く重く感じられてきており、
今の環境もだいぶ居心地の悪いものになってきているところです。




一休

伝法の記録

半年間、みっちり行ってきた龍神の行がとりあえず終了し、本日新しい伝法を受けてきました。

半年間休まないで集中を継続するのは大変だったので、ここで少し一息入れてから新たな行をやって行こうかと思っているところです。



これからの身の振り方をどうすべきかと日々考えあぐねているが、
今日指導者と話をしながら次に進むべき方向や必要な環境などが少し具体的に見えてきました。
上手いこと進んで行けるかはわからないが、考えが一歩進んだ一日にもなりました。

相談できる先輩がいるのは有り難いことです。


困ったときは、

相談しよう、そうしよう


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一休

生きることの意味

人が生きることの目的は何なのか?
の問いに対して野口晴哉先生は、

生きることに目的などない、あるとすればそれは生きることそのものだ。

ということを仰っています。


ただ生きることそのものが目的なら、どんな風に生きたっていいだろうと思うのですが、そうではない。

野口整体ではその生き方に、命に「勢い」がある、ことを最も重要とする。

ただなんとなく生きている命には勢いが生まれない。
どんな生命もその精一杯生きるところには勢いが生ずる。


例えばスピリチュアリズムでは、
人がこの世で生きることの目的は沢山の感動を味わうためだとしている。


なぜ勢いがあるのが大事かといえば、
やっぱりこの感動を大きく深く味わえるからだと思う。




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ではその勢いを生むには何が要るのかといえば、
その人の心が躍動する何かだろう。

心の躍動するそこを手繰ればその先には果たしたい目的があり、その過程と果たすところに喜怒哀楽の感動がある。


生きることそのものが目的なのだと悟りきるまでは、
その都度果たすべき目的を必要としているのが人なのだろう。


せっかく命を与えられてるのだから、
もっともっと生きることに命を懸けてみたい。
この地球という現世というテーマパークをもっと遊び尽くしてみたい、死んでしまえばそれまでです。


浮生は夢の如し



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一休

今日の日記

久しぶりに少し気分の晴れた状態で書いています。

しばらくの間、ふた月み月続いてたか、身辺の動きも悪く気持ち的にも煮詰まり感に浸かっていたのだが、やっと一つ抜けてきた気がしているところです。


仕事では人と取っ組み合う場面がやけに多く(変わった仕事なので)体力的に疲れているものの、心は目一杯使うのでいい感情発散になり精神的にはスッキリしています。



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現世的な力をつける、
波動の荒い世界、荒いものを持った人達とも上手に関わったり、必要ならぶつかったりもすることのできる力、

こういう力を身に付けることは自分の大きな課題でした。


E・Tソウルと言っても色々な性格の星、色々な種族がいるそうなので一括りでは言えませんが、
私の場合は、特に調和を大事にする星から来ていると思います。(たぶんですが。)
争いや対立の波動は昔から嫌いなのと、人と競い合うのとかもやる気になりません。
そういうのは苦手なのです。

しかし自分の生きてきた時代はこれらを強いられました。


当然現在も地球はまだまだ荒い波動が沢山あり、それらとも上手く関わりながらその荒さを取り除いて行く必要があります。
そういうことの一翼を担う形で自分はこの時代に生まれて来ていると思うので、
適度に荒さとも関わって行ける力が要ります。


波動の繊細なタイプのE・Tソウルはもともと精神性は高いものの、その分現世の粗い波動、その習慣や価値観にはなかなか馴染めないという場合は多いそうで、
埋もれてしまって力を発揮できていない人が沢山いると思います。



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荒いものもネガティブなものも、
取り込んで使えるようになってしまえばすべて力です。


高い精神性も、鋭い感性も、役立てなければ自分を苦しめます。


持ってるものを使える力、役立てる力を身に付ける。

これにはやっぱり、世間にもまれ社会にもまれ培ってゆくしかないのかなと思います。


一休

無い者からは奪うべし

野口晴哉先生が、指導者の心構えとして持つべき愛情というもを示した教えがあります。


無い者に与えてはいけない。
無い者からは奪わなければならない。

有る者には与えてもよい。

無い者に与えるのは素人の愛であり、
無い者から奪うのが玄人の愛である。


という内容です。


愛情でも物でもお金でも何でも、

無い者を見ると、同情心、人情で、
では恵んであげよう、補ってあげようとなる。
しかしそれではその人の本気は呼び起こされない。

奪われてさらに無い中から本当の必要を感じ、自らがそれを掴み取りに行く力を引き出さなければならない。

自らの力、本気が出てくるよう仕向けて行くのでなければ指導にならない。


有る者は何故有るのかと言えば、
使える力を持ってるから有るのです、だからそれには与えればよい。

無い者は持っている力がないから無いのだ、と。


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私もやっとこうしたこと、玄人の愛というものが身に染みてよくわかり自分なりにほんの僅かずつですが体得できてきたものもあるように思えています。
勿論使いこなせるなんていう次元の話ではありませんが。

数年前までは素人の愛しか使えませんでした。
素人の愛を使って使って一生懸命やった結果はと言えば、

人の弱さや依存心、怠惰、かばわれることの快感を引っ張り出し助長させてしまい結果成長を遅らせ、
自分の方は抱えきれなくなって苦労したりと、

今思うと本当に阿呆なことしかできてなかったと思います。
それでもまあその失敗の積み重ねのお陰で学んでこられた訳ですが。



指導をする側に立つ者、愛を与える側に立つ者は、苦しみ悲しみも与えることができなければいけない。
憎まれる恨まれることもできなければいけない。


当然、神は優れた指導者です。

痛みも苦しみも悲しみも、育つまでは嫌なこともいくらでも与えられる。

優れた指導なのだから従って、そこから本心本気を引っ張り出してゆくのが賢明だと思っています。



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本心、本気が引っ張り出されて来なければ心が満ちてゆくこともない。
魂も光ってこない。

多くを与えるものは、より厳しい指導を受けなければならない。求めなければいけない。
その代わり、より深く満ちて輝くことになるのだろう。



小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり



愛情を使うということは、本当に難しいことだと思います。

使えるようになればなっただけ、大きく深い愛も与えてもらえる。

得るには、得るだけの資格がいる。
もっと神の愛を与えてもらえるよう、使える力をつけて行かないと行けない。


こういう難しいことは生きて歳を重ねて行かないとなかなかわからないことも沢山ある。
じいさんになる頃にはどうにか玄人と言えるようになってたらいいのですが。



一休

ETソウル

一説によれば、

日本人の6人に一人はETソウル(宇宙の他の星から来た魂)とも言われます。

他の国へ行くと数十人に一人の割合だそうなので、
やはり日本という国は霊的に特別な国と言えるのかもしれない。



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若くして病気や不慮の事故などで亡くなる方がいますが、
非常に人間性、霊性の優れた方であることも多いような気がします。

心の薄汚れた人が大変な目にあうのなら自業自得だろうとも思うものの、
どうしてこんなに心の綺麗な人が、こんな大変な辛い目にばかりあわねばならないのかと、やりきれない気持ちになるような、そんなことが多い。


このような人は、
ほぼ間違いなく沢山のカルマを背負っている、というより引き受けているのだろうと思います。
愛、優しさ、思い遣りというものを強く持ったETソウルであることが多いと思います。



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その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあるぞ。
人類のメグリは人類の誰かが負はねばならん。一家のメグリは一家の誰かが負はねばならん。果さねばならん。
善人が苦しむ一つの原因であるぞ。神の大きな恵みであり、試練であるぞ。

(日月神示より)


ここで書かれるメグリとはカルマのことです。


愛情、思い遣りの心を強く持ったETソウルは、一家、一族とか、
果ては人類というレベルでのカルマも一手に引き受けて現世に人として生まれてきている、
そういうケースも多いのではないかと思っています。


たぶん私自身もETソウルだと思うのですが、

こうした多くのカルマを引き受けて、頭の下がるような大変な生き方をしている方にも、神の力を注いで可能な限り軽く出来たら、、、と思います。


もどかしくも、
今はとにかく力をつけて行くしかない。



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一休