一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

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今日の日記

この前伝法を受けてから、より一層瞑想行を軸にして過ごしています。エネルギーも大きく動いており、できる限り時間をかけたいと感じているのでそうしています。

瞑想行と、他の邪気抜きとみっちり行いながら淡々と日を送っているが、心は激しい激情にもかられている。

 

 

激しい怒り、恨みと憎しみ、自分の中のドス黒いものが行の力で出てくる。

瞑想行はある程度力が動けば心地いい。心身が調えば快がある。でもそれだけじゃない。

自分の中の錆びついてたのも剥がれ落ちてドス黒いのも溶け出す。

そのドス黒い激情にも向き合わされる。自分の真の姿も突きつけられる。

 

人の生きるの死ぬのってのは、綺麗事で済まされるものじゃない。それを確認させられる。

 

世の中には、ドス黒いものは見て見ぬふりをしてやり過ごそうとする人達もいるが、それが真実だとは思えない。

怒りも憎しみも恨みも、生きる力だ。

それを錆びつかせて命を終えることが本当だとは思えない。

 

わからない答えはいくらでもある。

それでも、自分の心に従うことが正しいってことだけは、

それだけは揺るがない答えとしてある。

 


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人には宿業ってものがある。

誤魔化しようのない、飲み込むしかないものがある。

どんなに不味くても吐いても飲み込むしかない。

 

それをしないと自分の人生が果たされない、そういうものがある。

 

 

実体を映せば影ができる。

光を見るのは闇も見るってことだ。

 

 

一休