礼が人を創る
日本では昔から心身一如、心と身体は一体であると言います。
私は修行を通して、具体的になにが、どこがどういう風に繋がっているのか、一体なのかというのを体感理解で学んでいます。
頭で理解し、身体で感覚で感得して、
本当の理解が深まって行きます。
野口整体では道場に入る時に一礼をします。
場に対しての礼です。
行を始めるにあたっても相手があれば相手に一礼から始めます。
終えた後も同じく感謝の一礼をします。
一人で行を行う際も同じく一礼から入ります。
日本では伝統芸能、武道、宗教などでもこの基礎はだいたい統一されてるように思います。
八百万の神を大事にしてきた日本では、
それぞれの土地や場所、目に見えない空間にも、人の中にも神を見て尊んできたことが表れています。
心の動きと身体の動きはやはり一体です。
心の動きが是正されてくれば、身体の動きも是正されてきます。
反対に身体の習慣的な動きを礼儀作法を身につけたりなどで是正して行くことで、心の動きも次第にそれに付き従ってきます。
醸し出す雰囲気にもやはり品位が出てきます。
野口先生は、
整体とは感受性を高度ならしむるものと仰有っていますが、
感性を育てるということに於いてもこれは深く関わってます。
私は以前は、10代のときからロックやメタルが好きで音楽ばかり聴いて来ましたが、
ネガティブな要素の強いものはだいたい良くない霊界と繋がって影響を受けてます。
今になってそれもよく分かるようになってます。
そうした影響の大きいものは今ではもう聴きたいと思うことはなくなりました。
ネガティブなものが良く感じるとか、
ドクロとか魔を感じさせるような物が好きとか、ワルっぽいのがかっこ良く思えるとか、
こういうのはだいたい良くない霊界の影響を受けることで感じられている歪んだ感性です。
もっとも本来的な純粋な自分の感性からは外れてしまっているものと思えます。
時代を越えて支持されるような普遍的に心に響くような名作は、良くない霊界の影響を受けずに、
高い霊界からの影響を強く受けてその人本来の純粋な感性で創られてるのが感じられます。
そういうものにはそれなりの品位がある。
いわゆる上品な感じでなく野性的であっても、決して下品ではない。
これまでの時代ではネガティブな闇のものにも価値の見出だせる要素があったと思いますが、
これからの時代、光への統合が成されて行くこれからは歪んだものはどんどん淘汰されて行くだろうと思います。
日本的な礼儀作法ばかりが正解とは思いませんが、
神の国日本なだけあり、
とりわけ高度で精妙な波長が、この国の礼儀には籠っているようです。
一休