一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

今日の日記

トラウマが出て流れるついでに、昔のことをいろいろ思い出しています。

今日は休日でしたが浄化で心身もガクッと弛みましたので、休みたい要求が強く出ています。
頭も一生懸命使いたくないので勉強はしません。

こういう弛んだ時は要求に従ってしっかりと心も身体も頭も休めなければいけません。



f:id:ikkyuw:20180309021218j:plain



久しぶりに子供の頃のことを思い出しました。

子供の頃はもの作りと昆虫などの生きもの観察が好きでした。


私は九種体癖(骨盤閉型)があります。

この体癖を持つ人は集注密度が高く、何かに熱中し出すと寝ても覚めてもずーっと集中が継続します。

子供の頃に、大人用の組立式のラジコンを買ってもらった時などは、何日もずっと集中して作り続けて、
ご飯も寝るのも、親に怒鳴られるまで動きません。
トイレに行く間も惜しんで作っていたのを思い出しました。

昆虫を見るのも、ずーっと観察していたものです。
学校の校庭で何かの観察に熱中していたら、いつまにか回りに誰もいなくなっていて授業が始まっていたこともありました。

熱中し出すと回りの音も聞こえなくなるようでした。
今はあの頃ほどの集中ができません。



f:id:ikkyuw:20180309021236j:plain




それはそうと、
もの作りが得意だったので職人(パティシエ)の道に進みましたが、結局その道で将来の目標や理想を見出だせずに、
途中で道を逸れて他のもの作り仕事も二十代はやっていました。

今はもの作りからも離れ、こうしてヒーラー(癒し手)修行の道を進むことになっています。
先のことはわかりませんが、この道に自分のお役目がある、と感じています。



人生というのはどう流れて行くかわからないものだなとつくづく思います。

かつてはもの作り以外に道はない、と思っていたのが、
あろうことか当時からは予想もつかない道を進んでいます。



それまでと全く違う道へ進むとなると、たいがい周囲からは反対の声があがるものです。
それまでの経験が生きないとか、もったいないとか言う人もいますが、
私は全くそうは感じません。

経験というのは後にどう生きてくるかわからないということもありますし、

何より経験していることは心身(脳も含む)の発達、人格の形成という、生きることの基礎に深く関わっているからです。


これは発達段階にある子供だけではなく、大人になってからも同じと思います。

歳をとれば物質的には低下するもの、減るもの、が多くなりますが、
人間は物質だけで出来てるわけではありません。
発達は物質のみ、で行われるものではなく、心と連鎖して行われるものです。



f:id:ikkyuw:20180309021337j:plain




なにかしら意味を成して連なっているのが経験である、と思います。

あのときのあの経験に何の意味があったのか、は後になっていずれわかるものだろうと思います。


算段的に考えるあまり可能性を閉ざしてしまってはそれこそがもったいないこと、
突飛な発想も大胆な選択も、受け入れる者に大道は拓かれて行くものと思っております。



一休