一休 真実の探求Ⅱ ~引導の神々~

霊性修行、活元修行の日記、気エネルギー、神仏や霊的な事など             

今日の日記

本日はとても久しぶりにシヴァのエネルギーで浄化の瞑想を行いました。

しばらく心身の鬱滞が続いていたのが、激しく浄化反応が出て一つ二つ抜けて心身も弛みました。
まだまだ芯から本格的に弛んだとは言えず残ってはいるが、それでも今はとてもだるく気持ちが悪くなっています。(強い緊張状態がほぐれると、痛みや吐き気などが表れたりする)

シヴァの浄化力はやはりとても強い、と改めて感じることとなりました。



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シヴァはヒンドゥー教では宇宙の創造三神の一柱とされている神であり、破壊と創造を司ると言われています。(無から有を発生させるブラフマンの創造とはまた別)

五大元素とも言われる地火空水風、この世のありとあらゆるものはすべてシヴァの顕れ、シヴァそのものであるとも言われます。
シヴァに帰依している聖者、賢者も多くおります。


現時点での自分の考えとしては、シヴァは日本の神では国常立大神様と同根なのではないかと考えています。
現状で感じられているエネルギーの質も方向性が同じというか、同種の系列な感じがしています。
より高位の存在としてのこの二神は同じではないかと予想しています。

国常立大神様は地球そのものであり、日本の国土はその姿が顕れた龍体の形をしていると言われます。
大自然も、その自然の摂理もこの神様の息吹きである故に、そのエネルギーは強大で強烈です。

嵐も台風も火山活動も大地震も、この根源的な神様の意思(エネルギー)に因ります。

瞑想によりシヴァのエネルギーを大きく動かすことは、こうした力を自身に及ぼすものと感じています。
故に浄化力も強大です。



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瞑想もいろいろあるとおもいますが、

浄化、祓い、波動を上げる、心身の調律、などの目的を持つ瞑想であれば、
そこには必ずと言っていいほど浄化反応がついてまわり表れます。

大きく、深く力が及べばその反応も激しいものとなります。
弛緩、解毒、感情の表出など、出方は一様では無くも、
激しく出れば痛みや苦しみに身悶えます。


そして、こうした瞑想にも起承転結という流れがあります。

これもまた一様では無いものの、
演劇や音楽などのように途中で激しくなったり静かになったり変化をみせて展開されて、最後には心身ともに鎮まって終わります。

普段はだいたい私はこうして鎮まったらそこでその日の行は一区切りで終了としています。
ここからさらに続けることでより深い瞑想状態に入る、禅で言う入定に入るなどもありますが、
今の自分に大事なのはこれではないのでやっていません。


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一休

今日の雑話

先日、仕事仲間と話をしていて、

彼の行くある仕事先(私も知ってるところ)で幽霊がでるとのことで、
その時は、いわゆる霊感が強いと言うような男性一人女性一人(私も知ってる人)の二人がいて、
二人ともに幽霊のおっさんが見えたらしく、特に女性の方が出て行こうとすると追いかけられたり腕を掴まれて引き戻されたりして悲鳴を上げてたという話をおもしろ可笑しく聞かされました。

彼は私が霊的なことに関わる行を行っていることもなにも知らないので、
私も、えげつないのがおるな~とだけ言っておきました。


前々からたまにそこの現場でのなにかいる話、はいろいろな人から聞いてましたが、内容的に危険な感じがしないのでいつもおもしろ話として聞いていました。




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いわゆる霊感が強い、見える、という人に多いのが、
低級霊しか見えてない、感応していないという方です。


本人を前にしてなかなか言うわけにもいかないことですが、
こういう人は多くの場合あまり褒められた人とは言えないと思います。
なにかしらその人の精神性の低さを物語っています。

高級霊との交流が無く、低級霊とばかり交流してしまっている、というのは、
その霊的感覚にも問題があると思います。
この手の人の多くが、恐らく、正しく心身が律されて精神性が高くなると、見えてた霊的感覚も無くなる、と思います。


この手の霊感は、正しく開いている霊的感覚とは別物です。
ひどい場合低級霊の憑依でもって開かれてます。
悪質な霊能関係の人や宗教者にも多いと思います。




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この話の女性は、清めの塩をいつも持っていたりして万全に対策もしているのだそうですが、
結局はちょっかい出されて悲鳴を上げてます。

こういう方には、私生活や生き方をまず見直した方がいいんじゃないかと、
自分としては思うのです。



一休

今日の日記

先週高熱が三日間くらいでました。

深部が弛み、無意識に抑圧、蓄積されていた感情も出てきていつになく強い苛立ちが顕在化していました。
高熱と下痢で、全部上手に流れてくれれば良かったのですが、

後半仕事で無理をして寝不足も続いてしまい経過が悪くなってしまいました。

後半は熱も内に引っ込み、下痢も出切らずに終わってしまい、苛立ちも引っ込んで、
心身とも鈍く停滞した状態になってしまいました。


一度浄化、発散、解毒といった排出作用で表層に浮き出てきたものがそのまますっきり流れ出て行かずに、このように内向をしてしまうと、
状態としては非常に良くない状態となります。

そして一度内向して引っ込んでしまうと、排出が難しくなります。

また排出のきっかけ、その波がくるまでは鬱滞(裡に隠って停滞する)しがちになってしまいます。


スムーズに経過させるというのはなかなか容易ではないです。


症状緩和の薬などを飲んでも症状は内向します。
ですので、浄化修行を行う自分のような者は通常飲みません。



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2月、3月と集中して修してきた行が一旦区切りがついて、
また次の伝法を受けようというところで、心身が鈍く停滞してしまいました。

今の状態ではよろしくないため、
整うまで調整して行かないとというところです。



一休

花粉症

花粉の季節になりました。今日も多く飛んでいてかゆいです。

私は小学生の頃から花粉症でした。当時はまだ花粉症の人は少なかったと思いますが、今はどんどん増えてるようです。



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花粉症の原因は花粉だけではなく、有害電磁波や、アスファルト排気ガスなど他の有害物質、他のアレルギー物質との複合反応によって悪化している、との指摘がされていますが、
これは確かなこと、と思います。

有害物質だけに限らず精神的な要因も複合して悪化する、と思います。

個別にみればそれぞれ違う相当様々な要因が絡み合っているだろうと思われます。



花粉症はじめ、多くのアレルギー症状は自律神経と深く関わっています。

自律神経の働きが整うことで症状が緩和する、もしくは無くなることはあります。

私は以前に比べればだいぶ症状は楽になっています。
修行の継続によって自律神経の過緊張が抜けて整ってきていることは大きく関係していると思います。


瞑想中、深い瞑想状態に入ると症状は一時的にほぼ出なくなります。活元瞑想でも密教瞑想でも同じです。

どちらでも気の流れが良くなり、深部の過度緊張が弛んで自律神経の働きが整って来ます。
そうすると症状は落ち着いてきます。

終えてかもしばらくは落ち着いていることが多いと思います。



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アレルギーの元は、その対象物等を「受け付けない」ことの反応であり、
症状は身体の抵抗反応です。

ここで、かつて読んだフロイトの本にあった焦げたプディングの話が思い出されます。


その患者は焦げたプディングの匂いが鼻について離れない、というものでしたが、
「無意識に抑圧されたある強い感情」と、その時同時にあった「焦げたプディングの匂い」が一体化していた、という症例です。

この例のように、
無意識に抑圧されている感情、がその時あった花粉と一体化されて、感情と共に抵抗反応を示している、(要するに原因が抑圧された感情であるということ)
もあるわけです。

野口整体でも、自分の学んでいるところの症例で、このようにトラウマの消失と共にアトピーがすっかり治った話なども聞いています。


原因が心理的要因と一体になっていることは決して少なくはない、どころかそのほとんどに関わりがあるはずです。


野口整体では病症には必ずというほど心が関与している、としてみます。


人の身体を観る、ことはその人の心を観ているも同じだ、とされます。
これは思想とかなんとかではなく実際の成り立ち、です。
心身不二ということが根底にあります。




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話変わってそうこうしていたら、なにやら熱が出てきました。
今日は心身ともにおかしいなと思っていたら、、
寒気で震え出しました。
明日も普通に仕事だが、なんとかなるか?
いやなんとかするしかないので、早く寝ましょう。




一休

人間の要求

人は「意識」の存在です。

すなわち「意思」の「気」(エネルギー)の存在である、
のが本質です。


野口先生は、

無意識から起こった要求(エネルギー)が

→潜在意識を通って、

→顕在している表の意識へと流れている

と、言われています。


潜在意識は窓のようなものだ、とたしか言われていたと思います。

ここに否定的な思いなど(抵抗波動)があると、言わば窓が閉まっていたり、半開きになっていたりする状態となり、
エネルギーの流れが阻害されるわけです。

そこにエネルギーの鬱滞が起こり、流れが乱れます。


エネルギーの流れは水と同じで、川の流れと同じイメージと言えます。

高いところ(無意識、真我などの高次元)から、
低いところ(表層意識、物質界などという低次元)へ向けて流れてゆきます。

阻害されれば、乱れた激流となったり、障害を避けてどうにか流れて行ったりします。
大河のような、太く緩やかな安定した流れにはなりません。



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人間の行動はその九割以上が潜在意識(当人の気づかぬ思い込み)によって決定づけられている、
とも言われます。

野口先生は何割という表現はされていませんが、内容は同じことを言われています。

ここを大変重要なものとして、野口先生は潜在意識教育ということを行っていました。
ご自身のやってきたこと(多くの人の心身を正す、病を治すなど)を、
ただ心の向きを変えただけだ、とも言われております。



無意識、真我の要求に沿わない抵抗波動
(否定的な思い込み、自己否定)が人の運命を阻害している要素は大変大きい。

自己をそのまま受け入れられる、
自分を赦し、認め、愛することを、
生命を生かすことを、

人は常に求めています。



一休

今日の日記

トラウマが出て流れるついでに、昔のことをいろいろ思い出しています。

今日は休日でしたが浄化で心身もガクッと弛みましたので、休みたい要求が強く出ています。
頭も一生懸命使いたくないので勉強はしません。

こういう弛んだ時は要求に従ってしっかりと心も身体も頭も休めなければいけません。



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久しぶりに子供の頃のことを思い出しました。

子供の頃はもの作りと昆虫などの生きもの観察が好きでした。


私は九種体癖(骨盤閉型)があります。

この体癖を持つ人は集注密度が高く、何かに熱中し出すと寝ても覚めてもずーっと集中が継続します。

子供の頃に、大人用の組立式のラジコンを買ってもらった時などは、何日もずっと集中して作り続けて、
ご飯も寝るのも、親に怒鳴られるまで動きません。
トイレに行く間も惜しんで作っていたのを思い出しました。

昆虫を見るのも、ずーっと観察していたものです。
学校の校庭で何かの観察に熱中していたら、いつまにか回りに誰もいなくなっていて授業が始まっていたこともありました。

熱中し出すと回りの音も聞こえなくなるようでした。
今はあの頃ほどの集中ができません。



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それはそうと、
もの作りが得意だったので職人(パティシエ)の道に進みましたが、結局その道で将来の目標や理想を見出だせずに、
途中で道を逸れて他のもの作り仕事も二十代はやっていました。

今はもの作りからも離れ、こうしてヒーラー(癒し手)修行の道を進むことになっています。
先のことはわかりませんが、この道に自分のお役目がある、と感じています。



人生というのはどう流れて行くかわからないものだなとつくづく思います。

かつてはもの作り以外に道はない、と思っていたのが、
あろうことか当時からは予想もつかない道を進んでいます。



それまでと全く違う道へ進むとなると、たいがい周囲からは反対の声があがるものです。
それまでの経験が生きないとか、もったいないとか言う人もいますが、
私は全くそうは感じません。

経験というのは後にどう生きてくるかわからないということもありますし、

何より経験していることは心身(脳も含む)の発達、人格の形成という、生きることの基礎に深く関わっているからです。


これは発達段階にある子供だけではなく、大人になってからも同じと思います。

歳をとれば物質的には低下するもの、減るもの、が多くなりますが、
人間は物質だけで出来てるわけではありません。
発達は物質のみ、で行われるものではなく、心と連鎖して行われるものです。



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なにかしら意味を成して連なっているのが経験である、と思います。

あのときのあの経験に何の意味があったのか、は後になっていずれわかるものだろうと思います。


算段的に考えるあまり可能性を閉ざしてしまってはそれこそがもったいないこと、
突飛な発想も大胆な選択も、受け入れる者に大道は拓かれて行くものと思っております。



一休

トラウマの表出

ここ数日、心身に新たな詰りが顕れ、
身体の偏りと意識の低下、気分の優れない状態がありました。

今日になって、浮いてきたトラウマが涙で流れていっています。



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これは自分の見解ですが、トラウマ(心的外傷)には、大きく2つの要素があるように思います。

強い恐怖などでの動揺、と自己否定、とに別れるように思います。
心理学ではどのように観ているのかはわかりません。


小さな子供などを観ていますと、
怖い思いをした、ビックリした、そのしばらく後になってからワーッと泣きだします。

身体に起こった極度の緊張を弛めようと働くことで、ワーッと泣くわけです。
そうなれば、抜けて残りません。
が、
こうした反応がスムーズに出ないと、そのまま残ってしまいます。


他者から受けた心的外傷になることも、
最終的には自分がそれを受け入れることで、それが自己否定の原型となっています。
故に、自我意識の発達途上である幼少期にこの原型が作られやすく、
潜在意識に形作られています。
幼少期には自我意識で抵抗できずに受け入れてしまうわけです。

そしてことあるごとに否定を繰り返してしまうことで、コンプレックスが育ちます。




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自分の心身を根底から変える、ことを始めてからもう何年も経ちますが、

経験を経て、アプローチの仕方も変わって来ています。


以前はこうしたトラウマに意識的に焦点を当てて浮かび上がらせようとしていました。
しかし、それをすると浮かんできた苦しさにとらわれてスムーズに抜けて行かないことが多く、
心身ともに大変苦しい思いをしていました。

おそらく通常トラウマは完全に忘れていることも含めてきりなく出てくるものです。
むやみに浮かび上がらせれば乱れる一方にもなります。



やはり結果的には、
それら(トラウマ)を自然に浮かび上がってくるまでは意識しない、

普段的にはただ自分の波動(振動数)を上げることに勤めるのが最善である、
と今は結論付けています。

波動が上がることで、然るべきときに不要な抵抗波動(トラウマ)は自然に浮かび上がってくるものである、ことが実感されています。




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トラウマを癒す療法などもいろいろあると思います。
エネルギーを扱うものから後退催眠のようなものまで、自分の知らない方法もあると思いますが、

こういったことも、自然に導かれたような形で行う以外には、むやみにはやらない方がよい気がします。



野口先生も病症の経過について、
治りを意図的に早めるようなアプローチは最善の経過にならないと言われています。

何事も自然な流れを重視するのが結果的にはベスト、と感じています。

焦らず、見守れることで、自然な流れがつかめるように思います。



一休